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世界史とつなげて学ぶ中国全史

2020年1月24日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

年々その存在感を増す中国ですが、日本人はこの隣国に対してどれほどの知識を持っているでしょうか。

私は、高校生のころから世界史が好きでしたので、この国の歴史的な存在感について大きく感じている方ではあると思います。

実際にこのブログでもかなり中国のことを擁護するような記事を書いてきました。

そんな私は、現代国際社会においてここまでこの国の存在感が大きくなってきているのに、ただただこの国を批判したり、恐れたりする日本人があまりにも多いことに対して「不思議」な感覚を禁じえません。

そこで、この中国という国の歴史を著者曰く「一気呵成」に描いた「世界史とつなげて学ぶ中国全史」という本をご紹介したいと思います。

本書の冒頭にはその私の感じる「不思議さ」の原因に関わる以下のような含蓄のある指摘がありました。

「西洋史観が前提となってしまっている私たち日本人には、どんな地域であれ、同じ人類である以上は同じように思考・行動し同じような歴史的経緯をたどったはずという前提があります。まるで歴史の舞台設定が唯一所与であるかのように。本書はその無自覚を正す意味でもやはり中国史独特の舞台設定から始めたいと思います。(一部加筆修正)」

まず、本書を通じて感じられたのは、「中国」というくくりが、私たち日本人を含めた現代グローバル社会の基礎となっている西洋史観でとらえられるような「漢民族」の国という理解を持つべきではないということです。

というのも、中国の歴史が、初の統一国家である秦帝国以来ずっと「胡」と呼ばれる遊牧民と「漢民族」の融和と衝突を繰り返してきた歴史だからです。

中国は四大文明の一角をなし、そしてそれは独立した文明であると評価されがちですが、実際にはオリエント文明をはじめとする隣接文明からの影響や、「胡」と「漢民族」との接触による影響を継続的にその発展に取り入れてた結果作られたものだということがよく分かります。

特に、もともと単なる草原での遊牧集団(胡)に過ぎなかったモンゴルが、「元」という世界帝国を築くことができたのも、現代のような火力のインパクトが少ない時期に騎馬という軍事力によって自分たちよりも優れた富と文化を持つ「漢民族」を恐怖で制圧するも、決して否定せず、それらを継承しながらその勢力を拡大を図ったことが理由だということは印象的でした。

一般的に語られるように、中国は自らが世界の中心であり他の国の考え方や文物を取り入れる必要などないと考えている「中華思想」とは全く性質の異なる中国の歴史を概観することができました。

そして、この「中華思想」の考え方は、中国の長い歴史を通してある程度は存在してきたものではありますが、14世紀の「明」が、それまでモンゴルの征服王朝である世界最強の「元」の支配を経たことから、かなり意識的に純化されていったものだと理解できました。

本題とは逸れますが、その世界最強を誇ったモンゴルが、火力を中心とする軍事力の時代になり、また、一度漢民族の優れた富と文化を受け入れてしまうと、もうかつての戦闘能力を維持することもできなくなって以来、その存在感を示せていないという指摘も私にとっては非常に興味深いものでした。

中国では、日本とは異なり、非常に多くの王朝が栄えては滅びを繰り返し、一つが長く続くことはありませんでした。しかし、それぞれの王朝は非常に組織立って統治され、非常に高い文化水準を達成した時期を必ず経験しています。

それは、中国という場所があまりにも大きく、そして複雑であるため、何かしらの「統合」のための道具がうまく機能した場合には、その統治が非常に高いレベルで実現されることを表しています。

その「統合」のための道具というのが、「儒教」「仏教」などの宗教、モンゴル(胡)のような外患による恐怖、「中華思想」のようなイデオロギー、そして現在の中国のような「市場経済」という実利であったりしました。

つまり、この大きな中国という場所が一つにまとまるとき、私たちを含めた西洋史観の想像を超える強い力が育まれるということです。

今の中国がそのタイミングに向かっているのかどうなのか、わからない部分はたくさんあります。

しかし、少なくとも本書で明らかにされた中国の歴史的経験の積み重ねを知れば、再びそのタイミングが来ても不思議ではないと感じることができると思います。

本書を読んだ今、冒頭で言及した私の感じる「不思議さ」とはそのあたりから来るものだと思っています。

 

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