スッキリ中国論 スジの日本、量の中国
2020年3月15日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
いわゆる「中国論」についてシリーズで書いていますが、前回は「中国人のこころ」というタイトルで、「言語」の視点から日本人と中国人の違いを見ました。
今回は「判断基準」の視点から書かれた「スッキリ中国論」という一冊をご紹介します。
日本人と中国人が分かり合えず、「スッキリ」しないのは、その両者の違いを「ロジック」として理解できないからだと思います。
両者の「判断基準」の視点に違いはあるのは、お互いが外国人である以上当然のことです。であれば、その違いについて理屈をつけて理解することで無用の不和は避けることができるはずです。
本書は、その「ロジックの違い」について見事にそして様々なエピソードによって手を変え品を変えかゆいところに手が届くような説明してくれています。
それは、タイトルの通り、日本が「スジ」、中国が「量」を基準とした「ロジック」によってものを考えるということです。
と、さらっと説明されたところで納得できるようなものではありませんので、以下に本書の「スジ」と「量」についての解説をコンパクトにまとめてみました。
「日本人の『スジ』とは『本来あるべき姿・理想形』を頭に浮かべてそれをすべての行動基準にすることであり、中国人の『量』とは、自分にとってメリットの量が最大になるポイントを頭に浮かべてそれを行動基準にするというものです。例えば、通路に広がっておしゃべりをしている人間がいた場合、仮にスペースが確保されていて、その横を通行できたとしても、日本人は『通路は本来歩くための場所』という理想形とは異なる場所の使い方をしている人間に対してイライラします。場合によっては抗議までしてけんかになるかもしれません。それに対して、中国人はそのまま空いたスペースを使って通行するでしょうし、仮にスペースがなかったとしてもスペースを作るように単純にお願いをすることでそのスペースを確保します。」
つまり、中国人は、「本来どうあるべきか」という「スジ」には何の興味もなく、ただ、その現状が自分自身に「どれだけの影響があるのか」という現実にのみ興味があり、そのマイナスの影響が実質的に生じた場合にのみ抗議したりイライラしたりするだけなのです。
私はこのことを読んだとき、ものすごく大きな衝撃を受けました。
というのも、「文春砲」という言葉が最近頻繁に聞かれるように、日本においては芸能界や政界などで一発の「失言」でその人の職業生命が奪われてしまうことが少なくないですが、仮にその「失言」のマイナスが、その人の実績が世の中に与えているプラス影響と比べ、明らかに小さい場合には、そのことが日本社会全体の損失につながってしまい、明らかに非合理的だと考えられるからです。
私は日本人として「スジ」のロジックで生活してきましたから、今までずっと日本人の立場から中国人の発言や行動について「悪い」という判断を下し、彼らを批判的に見てきた部分は確かにありました。
しかし、このように中国人のロジックを明確に「言語化」されれば、その合理性について改めて確認せざるを得ません。しかも、このエピソードだけで考えれば、明らかに中国人のロジックの方が「合理的」でしょう。
なぜなら、このエピソードで考えれば、中国人は「通路を通行する」という目的を何ら障害なく遂行できているのに対し、日本人はその目的を遂行するためには少なくとも精神的なマイナス面が生じていますし、場合によっては目的達成のためにより多くの時間を費やさなければならない可能性が高いからです。
もちろん、このエピソードでは完全に中国人のロジックに軍配が上がると思いますが、計画性を必要とするような目的には、日本人の「スジ」のロジックの方がより合理的な場合もあるはずです。
だから、これは「良い」「悪い」の問題ではないのです。
ということであれば、日本人と中国人が今後真剣な取引関係を積み上げることで、両国民が「スジ」と「量」のバランスのとれた判断基準を手にすることができる可能性があるというものです。
こんな両国関係がこれから築かれるようになったらいいなと思います。