ビューティフルレイン
2012年9月2日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
ドラマ「ビューティフルレイン」見てますか?
私は、「連続ドラマを欠かさず見るなんて・・・」というバリバリ派を決め込みたい方の人間ですが、時々、こうしてはまってしまう傾向があります。
現在は、この「ビューティフルレイン」ともう一つ、「リッチマン、プアーウーマン」にはまってしまっています。
同時に二つなんて、むしろバリバリ派じゃなく、ドラマ大好き派じゃないかって感じですが、今回のように二つ同時というのは珍しいことなんです!
それくらいに、はまってしまっています。
ということで今回は二つのうちの一つについて書きます。
この物語は、病気で妻に先立たれ、まだ小さな娘と生きていかなければならなくなった主人公が、忙しい大手の会社をやめて、比較的時間に余裕の取れる下町の零細企業に住み込みで勤めるところから始まります。
かわいらしくて素直な美雨(ビューティフルレインはここから)ちゃんとの幸せな生活を送っているところに、「若年性アルツハイマー病」を主人公が患ってしまうことになります。
この病気は、現在のところ根本治療ができず、徐々に病気は進行するしかなく、加速度的に物忘れが多くなっていき、最終的には自分が誰かもわからなくなってしまうということが約束されてしまっているという大変な病気です。
ドラマの回を追うごとに主人公の病状が進行していきます。
悲しいかな、主人公自身がその進行を自ら感じてしまい、正気があるうちに、美雨ちゃんの将来のために自分と一緒に生活すべきではなく、妻の両親と一緒に生活させるべきだという決断への葛藤を見事に描いています。
私が、このドラマにここまではまりこんでしまったのは、やはり自分自身の子供達にどうしても重ねて考えてしまうということにあると思います。
子供が生まれると不思議なくらい気持ちが変わるのですね。
私よりも先に父親になった友人によく聞かされていましたが、本当にそうなりました。
母親が死に、父娘二人っきりで幸せを築いてきた事実も、「記憶」があってはじめて「存在」するものなのですね。
どんなに、強い父娘の絆も、脳細胞が作り出す記憶があってこそだということを嫌というほど感じさせられます。
その脳細胞の減少を自ら感じながら、残された脳細胞によって、自らの子供と一緒にいたいという感情を抑制し、取るべき方策をとっていく様は、世の中の多くの父親の心にしみているものと思います。
私自身、何かを取りに来たのに、その何かを忘れてしまうということが、時々あります。
このドラマを見てからは、自分自身の作り出しているあらゆる事実行為が「砂上の楼閣」に過ぎないかもしれないと思うようになり、単なる物忘れを笑えない自分がいます。