フィリピンと英語、日本と英語
2012年11月20日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
現在、JIPFLフィリピン現地事務所の研修でフィリピンに来ています。
本日でマニラ・セブを含めた約一週間にわたったフィリピン滞在が終了しました。
帰り際に、ミャンマーのヤンゴンに寄り、改革開放中の熱い国を観察してくるべく経由地のマレーシアのクアラルンプール行きの飛行機を待っているところでこのブログを書いています。
今回のフィリピン滞在では本当に多くのものを得ることができました。
一つはもちろん、現地事務所のメンバーと行ったSEACTテスト運営の研修において非常に細かいところまでつめることができたことです。
まあ、基本的にはそのために来たのですからできて当然といえば当然ですが。
もうひとつには、彼らと一日中話し込むことによって、フィリピンという国についてかなり深いところまで知ることができたということです。
「英語がネイティブと遜色ないくらい(大学教育を受けていれば)できるのに、なぜ貧しいままなのか?」
逆に「どうして日本人はこんなに英語ができないのに、世界的にみて裕福でいられているのか?」
この二つの理由が、少なからず分かったような気がするのです。
彼らが、英語を話すのを見ていると突然、フィリピン語(タガログ語もしくはビザヤ語)から英語に変えたり、またその逆をしていたりするのです。
つまり、彼らにとっては英語は外国語ではなく、母国語であるフィリピノ語とともに普段使いの「国語」として機能しているように見えました。
なぜ、そのような使い方をするのか?と彼らに聞きましたが、はじめは「なんとなく」という答えしか返ってきませんでしたが、よ~く観察していると、テクニカルなことを話すタイミングで英語に変えているように見えました。
そのことを尋ねてみたら、彼らも私の質問のポイントを分かってくれたようで、次のように答えてくれました。
「高等教育において使用されるのは基本的に英語なので、テキストはすべて英語。つまり、フィリピノ語では、一般の生活に関することしか表現ができない。だから、学校関係のことになると英語でないとほとんど伝えることができない。」
ということでした。
そして、日本では、大学教育の隅々まで日本語で行われていることを伝えると逆にびっくりされたのです。
なるほど!と思いました。
日本が「欧米に追いつけ、追い越せ」を実践する中でやってきたこと、それは英語をはじめとする外国で書かれたものを日本語に変え、自らの言葉で理解すること、またそこから独自に発展させ、場合によっては欧米にもないものを作り出してきたことなのだと。
「日本人が英語ができないこと」
このことは、いままで日本の『強さ』の源泉だったのだということです。
フィリピンのメンバーも日本において大学教育がすべて日本語で行われていることに驚き、逆にうらやましさすら感じていたように思いました。
しかし、私たちはそれはもう過去の事実だと思わなければならない時期に来たのかもしれません。
グローバル時代においては、世界を駆け巡る重要な情報はほとんどが英語によるものです。
それらを情報量が限られていた以前のようにいちいち日本語に変えることなどもはや不可能です。
また、日本が独自に開発した技術を含む情報も、即座に世界に発信しなければなりません。
それもやはり今度は英語にて行わなければならないでしょう。
このことに今更ながらに気づかされ、今私たちが取り組んでいるこの事業の大きな将来性を再認識して来た次第です。