フランク三浦勝訴の意味
2017年3月7日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
昨日(2017年3月6日)、「スイスの高級時計ブランド「フランク・ミュラー」を連想させる腕時計「フランク三浦」の商標が有効かどうかが争われた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は6日までに、フランク・ミュラー側の上告を退ける決定をした。2日付。フランク三浦の製造販売会社が勝訴した知的財産高裁判決が確定した。」とのニュースがありました。
先日、ピコ太郎の「PPAP」の商標についての記事を書いたばかりなので目についてしまいました。
そもそも商標登録制度における商標の定義は、「商標とは、事業者が、自己(自社)の取り扱う商品・サービスを他人(他社)のものと区別するために使用されるもの」ということなので、この問題の根本は、この「フランク三浦」という商標が、「フランクミューラー」と区別できるかどうかという点だったと思います。
今回の裁判所の判決理由も「全体の語感が似て紛らわしいが、外見などが異なり、明確に区別できる」ということでした。
確かに、フランク三浦は4千~6千円であることを考えれば、それを購入する人が、本物のフランクミューラーだと思って買うわけがありませんので、その点は裁判所の言うとおりだと思います。
ただ、フランクミューラーは、そうであったとしても、自分たちが大事に管理してきた商標の価値に、フランク三浦が明らかに「乗っかって」商売をしているという点を問題にしたかったのだと思います。
今回の判決は、そのことは「問題ではない」と確定したことになります。
つまり、この判決は、有名になった商標というのは、その商標自体の価値を棄損されない範囲では、社会全体で共有すべき価値のような存在となることを認めたということなのではないでしょうか。
例えば、「富士山」は、固有名詞ですので商標になり得ませんが、富士山という名前を使って「富士山まんじゅう」という商標をどこかの会社が登録を許されるのと同じような感覚です。
そのような普遍的な価値が認められたとして、フランクミューラーは納得すべきということでしょうか。その積み重ねてきた努力が多ければ多い程難しいことではあるとは思いますが。