
中国の死刑廃止論
2008年3月13日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
最近は中国の話題というとギョーザ関連ばかりなので何か興味深いものはないかなとインターネットで探していましたら以下のような記事がありましたので紹介します。
「最高人民法院(最高裁)の熊選国副院長はこのほど、テレビ番組で、死刑はいずれ廃止することになると述べた。ただし、現在は死刑制度を残す必要があり、廃止の時期は社会の成熟をみる必要があると述べた。中央電視台が伝えた。熊副院長は、死刑に犯罪抑止力があるのは事実だが、「万能」ではなく、治安維持のためには、経済、政治、社会、法律など、総合的な手法が必要だとの考えを示した。」
中国は死刑制度を厳格に維持している国家だというイメージがあったのでこの記事から受け取る感じとしてはもしかしたら日本よりも先に死刑制度廃止になるのではという気配があることにまず驚きました。
私は死刑については本当に様々な論があるので、社会的な一致を見る結論を出すのは非常に困難だと思っています。
それは、加害者と被害者、そして事件には関係のない一般国民の三者の感情やおかれた立場によって考え方のベクトルがぜんぜん違う方向を向いているわけで、それを一つにまとめるということは誰かの立場を完全に押さえ込まなければならないからです。
でも、私は、勉強不足のみであることを承知で現時点においてどちらの考えかと問われたら死刑は存続するべきほうに答えます。
私は、死刑存続・廃止についての問題は二つ論点があると思います。
一つは、死刑をすることで得られるメリットです。
これは、先ほどあげた三者のうちの被害者の感情に関わります。
家族や愛する人を殺された人はそれはもう、普通の人間の想像を絶する苦しみを味わうわけで、加害者の自分勝手な感情に任せて殺したということが分かっている人が死刑にならないで刑期を終えたら社会に復帰できると思うだけで、いつまでもうらみの気持ちを持ち続けなければならないと考えるのが普通でしょう。
この感情の議論を被害者でないものがそもそも議論できるものではないと思うからです。
犯罪抑止力云々の問題はそんなに重要ではないと思います。
なぜなら、罪を犯す人は自分がつかまらないと思って行うわけで、つかまった場合の結果が懲役か死かということをはかりにかけてやらないという心の動きになることを期待することはできないだろうと思うからです。
人を一人殺していれば死刑は免れるが、3人殺せば死刑だということがまかり通る以上、被害者家族の気持ちは余計に傷つけられるだけではないでしょうか?
もう一つはデメリットについてです。
いわゆる「冤罪」の問題だと思います。実際はやってないのに死刑にしてしまったら取り返しが付かないから死刑は廃止すべきだという議論です。
これについては私は土俵が間違っていると思います。
冤罪の存在が完全に払拭できないから死刑は廃止すべきとすると、それなら懲役ならいいのかということになります。懲役だって、国家権力がその人間の自由を奪うことですからこれは程度の問題になってしまいます。
ですから、冤罪の問題と死刑廃止の問題をごっちゃにするべきではないと思います。
もちろん冤罪は絶対にあってはいけないわけですから、冤罪を起こさない社会の知恵を絞り、そのような仕組みを作り上げる議論を独立してしていく努力をすべきです。
一人殺して懲役何年、3人殺したので死刑だというような議論がなくなるようになってもらいたいと思っています。