分かりやすいノーベル経済学賞
2017年10月30日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
今年(2017年)のノーベル賞は久しぶりに日本人受賞者がおらず、なんとなく寂しい感じでしたが、ノーベル経済学賞は、かなり興味深いものでした。
経済学賞は正式には「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」と言い、普通のノーベル賞の運営団体であるノーベル財団ではなく、スウェーデン国立銀行が運営するものだという話は以前のブログでしました。
そもそも、ノーベル財団はこれをいわゆる「ノーベル賞」ではないとしているようですが、毎年一般的には「ノーベル経済学賞」として広く認知されています。
こんな「ノーベル経済学賞」ですが、日本人は今まで一度も受賞経験はありませんし、また受賞者の功績が、難しすぎてほとんど一般の人には理解ができません。
ですが、今年は少しだけ、普通の人にも分かりやすく、また興味が持ちやすい内容だったのですが、ご存知でしょうか。
今年の受賞者は、アメリカ人のリチャード・セイラ― シカゴ大学教授で研究分野は、「行動経済学」です。
この「行動経済学」がなぜ、今までノーベル経済学賞を受賞してきた経済学のテーマと比べて私たち普通の人々が受け入れやすいのか、それは今までの経済学が、常に完全な情報を持ち、合理的な行動をとる「合理的経済人」をモデルにしてきたのに対し、実際の人間が時には全く理屈に合わないようなことをしてしまう「非合理的」な存在であるということを前提にしているからです。
つまり、従来のモデルを前提にすることは机上の空論ととらえてしまったのに対し、行動経済学は、「確かにそうだよね」という私たちの実感に訴えてきたからということだと思います。
例えば、一つの具体例として、ある店が一万円の万年筆と二万円の万年筆を置いていて、二万円の万年筆をできるだけ多く販売したいと考えた時、二万円の万年筆を目立つところに置いたり、ポップをつけたりすることよりも単に売れなくてもよいので三万円の万年筆を隣に置くという解決策を提示するのがこの学問の成果です。
しかし、「行動経済学」が、非合理的な人間の行動を一つ一つあげて「こんなに訳が分からないのが人間です」と言っているだけでは、学問ではなく、ただのトリビアで終わってしまいます。
「行動経済学」があくまでも「学問」であるためには、人間の「非合理性」を前提としつつも、行動の結果を「予想」できるものでなければならないということです。
今回の受賞は、その「予想」が合理的な範囲でなされ、人類への貢献と評価できると認められたということなのだと思います。
以前のブログにて、「ノーベル経済学賞」が正式なノーベル賞としては認められないもう一つの理由を次のように挙げました。
「ノーベルの遺言が賞の対象者を「人類のために最も偉大な貢献をした人」として定めていることで、受賞の対象は時代を超えて普遍的に人類のためになるものでなければならないという条件が付いています。そうなると、時代や条件などとは無関係に成立する法則や現象の発見・発明などといった自然科学に関する分野が中心とならざるを得ません。(一部加筆修正)」
そのため、経済学という「時代や条件によってその価値が変動もしくは意味を持たなくなることもしばしば起こり得るもの」という性格が、この点に抵触するということかも知れません。
ですが、この「行動経済学」が、「心理学」という完全とはいかないまでも時代や条件などの影響を受けにくい性質を持つ学問と経済学を融合したものであるということから、今後、この分野が晴れて「人類のために最も偉大な貢献」として認められる日も近いのではないかという希望を感じました。