利己的遺伝子とは
2017年5月7日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日、「利己的遺伝子とは何か」という本を読みました。
この本に興味を持ったのは、本の帯の部分に次のような記述があったからです。
「だから、みんな、勝手なのだ。人間が利己的なのは誰のせいでもない。遺伝子が利己的だからだ。利己的な遺伝子が、利己的でない遺伝子を長い時間かけて自然淘汰によって駆逐してしまった結果なのだ。でも、親が自分の命を顧みずに子供を助けるというケースはどのように説明すればよいのだろう。ドーキンスによれば、それさえも遺伝子の策略だという。」
私は理科系の本を読む機会は少ないのですが、この文章で「遺伝子」というものが、自分が思っていたよりも「人間臭い」ものではと感じ、文科系の興味を非常にくすぐられました。
まず、「利己的遺伝子」という概念を作った、イギリスの進化生物学者ドーキンスが考える遺伝子についての本書における説明を短くまとめてみます。
「個体は寿命が来ればあっけなくこの世から去るけれども、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだからその存在は次の世代に続いていく。すなわち、個体はこの将来に受け継ぐべき遺伝子の乗り物に過ぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく遺伝子なのである。その生き残りのために戦略として、『利己的』になることを選択し、生き残りの可能性を高めている。」
ですから、基本的にこの『利己的』なプログラムである遺伝子によって支配される我々生物は、究極的には「利己的」であるというのは理解できますが、冒頭の記述の通り、親が自分の命を顧みずに子供を助けるというケースなどをこの遺伝子の性質から説明できるかという問題が当然上がります。
これについては、次のように説明されます。
「自分を犠牲にして、自分の子供や兄弟・親戚を助けるという利他的行為は、少なくともそれを行う個体にとっては損失だが、その個体の遺伝子から見ると実は利己的行動であることが分かる。なぜなら、個体の中の遺伝子は、両親の遺伝子から1/2ずつ受け継いでいるため、親が子供を救えば、自分より長生きする個体に乗っている遺伝子を1/2ではあるが、助けられることになり、また、親子のみならず兄弟・親戚という具合に広がり集団安全保障的に実現されることになるから。」
なるほど、それさえも遺伝子の策略だということを理屈で理解させてくれています。
しかし、私はそれは理屈では理解できますが、すべての生物、特に私たち人間にまでその理屈を完全に当てはめることに大きな抵抗を覚えました。
遺伝子の乗り物である人間の個体というものが、他の生物のそれと比べて複雑になりすぎてはいないかと感じるからです。
そして、その複雑さは、人間の「思考」や「意識」の存在によって作り上げられています。
つまり、遺伝子のプログラムと人間の「思考」や「意識」の主導権争いのようなものが生じているのではないかという疑問です。
次回は、そのことについて考えてみたいと思います。