すべては「好き嫌い」から始まる
2019年7月31日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
久しぶりに一橋大学の楠木教授の本をご紹介します。
その名も「すべては「好き嫌い」から始まる」という書籍です。
このブログではもう何度も楠木教授の著書を紹介しておりますが、読むたびに彼のものを見るスタンスのすばらしさに驚かされ、こちらの次の本への期待値が上がるのですが、また新しい本を出されると予想通りその期待を上回る感動を与えてもらえます。
今回も、見事にその期待を超えるものでした。
ですが、今回は今までも大きく異なることがあります。それは、基本的に今までは教授の専門である「競争戦略」を中心とした経営学を中心とした内容だったのですが、今回はタイトルの通り「好き嫌い」すなわち、人間の生き方のスタンスについての内容となっていることです。(一部企業関連の話はあります。)
今までの本も、経営学をテーマとしているけれども、結局はその大きな背景である人間の生き方に絡めた説明が多かったので私を含め多くの読者を虜にしてきたはずなのですが、テーマそのものを「経営学」から外しているという点が大きく異なっていると言えます。
その人間の生き方のスタンスについて私がドハマりした部分を抜き出したいと思います。特に、狭い社会の中に押し込まれて悩んでいる中高生に聞かせたい内容です。
「中学生の社会では評価基準のバリエーションがやたらと少ない。勉強ができるか、スポーツができるか、周囲が一目置く『ワル』なのか、その3つくらいしかない。大人になると他にもおそらく150本くらいある人間の評価基準がきれいさっぱり捨象されてしまう。勉強のできる子が過剰に優秀に見えるという成り行きだ。(だが、社会に出てしまうと意外に学生時代優秀だった人がそれほどでもない人生を送っているというのはよくある。)思うに、とびぬけている中高生というのは要するに早熟なのである。誰もが自然と歳をとる。子供のころは個体差があっても、いずれはみんなフツーのオジサンになる。それぞれに人生の山谷があり、いろいろなことを経験から学び、いろいろなものを得て、それと同じくらいいろいろなものを失い、行き着くところはみなオジサン。それぞれに好き嫌いや得手不得手はあっても全面的に卓越したスーパーマン、ワンダーウーマンはめったに存在しない。所詮人間ちょぼちょぼ。である。」
これは、オジサン、オバサンになれば誰でも気づくことです。
でも、中高生の時には、それが分からない。大人は分かっているはずなのに、なぜか教えてくれない。むしろ、逆にその狭い評価基準を押し付ける側に回る大人がやたらと多い。
学生時代に勉強ができたり、足が速かったりでヒーロー扱いされていた人よりも、そのころからコンピューターにハマりまくっていて、いわゆる「オタク」扱いされていた人が、非常に幸せな職業人生を送っているなどということの方が多い。
これが事実なのに。
本書において楠木教授が、このような「オジサン、オバサンになれば誰でも気づくこと」なのに、誰も教えてくれないことを見事に「言語化」して伝えてくれていることは、現在進行形でその狭い社会に押し込まれている中高生たちにどれだけ勇気を与えてくれることでしょう。
僕も、このくらい上手に「言語化」できる力が欲しいとつくづく感じました。