教育、その費用対効果
2013年5月20日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
現在、フィリピンのマニラにいます。
現地事務所のあるセブ島に行く前に、マニラを現地JIPFL代表のウィリアムに案内してもらっています。
旅の途中ですが、フィリピンを旅して気がついた点を書きたいと思います。
昨年の11月に現地事務所立ち上げ準備のためにフィリピンを訪れたとき、フィリピン人が英語が得意な理由を私なりの解釈で書きました。
その記事は こちら です。
今回は、フィリピンの貧しさのひとつの理由として、「教育」の問題について考えさせられました。
昨日、タガイタイというマニラから南に60kmくらいにある観光スポットで馬に乗って火山の頂上まで上がるという体験をしました。
砂や石でものすごく足場の悪い場所をやせ細った貧相な馬に乗って登っていくのですが、その馬を操作するパイロットが男の子なのです。
目がくりくりして利発そうな男の子です。
英語で一通りの説明はしてくれるのですが、決まりきったことしか話すことができません。
あまりにも足場が悪い中で、道のすぐ横は切り立った崖となっています。
その中で私の体重に苦しむ馬の尻をロープで彼がたたくのですが、すぐに馬もスピードが落ち、また叩く繰り返しです。
非常に強い恐怖を感じたのですが、そんな中で、この小さな男の子への興味がわき、できる限りの情報を引き出そうとしました。
・彼は、10歳。
・名前はフェルナンド
・学校へは行かずに、毎日ここで馬を引く仕事をしている。
・山を登って降りる仕事(往復で2時間くらい)の観光客が払う代金1000ペソ(約2500円)のうち、彼の報酬は50ペソ(約125円)。(しかも、それは彼には直接は入らないと思われる。)
そこには、彼がそのまま大きくなったらなるであろう大人たちの姿もたくさんあります。
そうです、彼らには、この環境から抜け出すことはほぼできないという現実があります。
日本人の子供に大きくなったら何になりたい?という質問をして、かつては「野球選手」とか「お医者さん」とか言う答えが返ってきたのに、最近では「公務員」とか「上場企業のサラリーマン」という答えが増えてきたという話は聞きますが、それでも日本の子供たちは少なくとも夢を語る「余裕」があります。
しかし、彼らにはそれがない。
その差はいったい何なのだろうか?と考えますと、やはりそれは「教育」なのだと思います。
すべての小学生が少なくとも中学校までは行くことができることのすばらしさ。
これを改めて知らされたのでした。後でウィリアムに尋ねたのですが、基本的にはフィリピンも中学までは義務教育(権利教育)ですが、それは明日のご飯を食べられる範囲の中であり、親の収入の中で生活できないのであれば、当然子供は働くことになるとのことでした。
この教育の重要性を日本政府は明治の時代に認識してそれを実現したことについて、畏怖の念を感じざるを得ませんでした。
「米百票の精神」、この言葉の意味は言うはやすし、行うは難し、だということをまざまざと感じさせられました。
日本も財政難の中でこれからも本当の意味での「機会の均等」の継続を確保するのであれば、自らへの責任を伴うはずの大人への生活保護制度は最低限にするべきです。
そして、そのために、子供たちが明日のご飯を食べられず義務教育を受けることができないという危険が生じるのであれば、たとえば、そのような子供たちのためのシェルター(寮)を完備して学校へ行くことを保障するなどすることに公金を使うべきです。
そうすれば、くだらなすぎる「給食費未納問題」で惨めな思いをする子供をなくすことができますし、限られた資源を最も費用対効果の高い投資である「教育」に集中することになるのです。
これと同じことをフィリピンも国家として行うことができるかどうか。
これが、フィリピンという国が長い時間をかけてでも日本のような格差の少ない健康的な国家になることのきっかけだと思います。
現状は、非常に厳しいとは思います。
しかし、こう考えなければ、フェルナンドのつぶらな瞳を直視することができませんでした。