普通の企業社会へ
2018年9月10日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日(2018年9月4日)の新聞各紙の一面に「就活ルール撤廃表明」の見出しが踊りました。
「経団連の中西会長は3日の記者会見で、就職・採用活動に関する日程などを定めた採用指針を、現在の大学2年生らが対象となる2021年春入社組から廃止する考えを表明した。廃止されれば、1953年に『就職協定』として始まった就職活動の基本ルールがなくなることになる。」
グローバル社会到来と言われて久しいですが、日本の企業慣習の中でグローバル社会が最も理解できないものの一つが、日本独特の「就職」に関する一連の慣習だと思います。
日本独特の「就職慣習」とは、どの企業も同時期に「一括採用」を行うことに伴う一連の慣習で、そこには企業が示し合わせたルールがあります。
そもそもこのルールを定める理由がグローバル的には理解できないのです。
なぜなら、「採用」はその企業が人材を必要とする「タイミング」で行われるべきであり、そのタイミングは企業ごと、部署ごとに全く異なってしかるべきだからです。
この慣習は、日本の企業社会が、「終身雇用」と「年功序列」という仕組みを維持するための入り口として長い間機能させてきたものです。
しかしながら、この二つの日本経済の発展を支えてきた魔法の仕組はもはや維持できなくなりつつあります。グローバル社会の一員となるということは、競争の土台を共有するということになるわけで、それは当然のことです。
そうなれば、それを維持するための「一括採用」というその仕組みの下位概念も見直されなければならないのは言うまでもありません。
その意味で言えば、今回の経団連の決断は「当たり前」のことだと言えます。
しかし、それが今の日本社会においてうまく機能するかどうかについては私は非常に大きな疑問を持っています。
「差別化」「革新性」「独自性」のある人材を欲するという企業の要望は当たり前になされているのに、そこに群がる就活生は、「黒いスーツ」「紋切型の面接対応」「企業規模のみを基準とした応募」を当たり前のこととしています。
日本において、企業社会が普通になるためには、企業側の姿勢とともに入社を希望する側の姿勢の変化も必要であると強く思います。
就職活動の経験がない私は、この意見を堂々とぶつける権利があるとひそかに自負しています。(笑)