
欧米の教育
2010年6月24日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さんこんにちは。
先日、ランゲッジヴィレッジに長期滞在をした後、カナダに中学留学をした女の子が、夏休みで日本に一時帰国し、ランゲッジヴィレッジに立ち寄ってくれました。
その中で、彼女の数学を少し見てあげました。
その中で、たった何ページかの解説をしてあげただけですが、それだけでも日本の教育と欧米の教育の考え方の違いが良く出ていまして改めて考えさせられました。
よく、日本の中学や高校を終えて欧米に留学した人は、欧米の数学について「日本の数学に比べてとても楽」だという感想を持ちます。
しかし、私はこの感想について少し違和感を感じております。
と言うのも、私自身、大学時代に留学して同じような感想を持ったときに、アメリカ人の友人から「ガツン」ときつい一発をくらい、考えを改めさせられるという経験をしているからです。
先日見てあげた問題も、日本的に公式に当てはめてしまえば一瞬にして「答え」を見つけられてしまう問題だらけでした。
しかし、その問題の本質はそこには無いのです。
それらの、簡単な問題を難問も解いていく中でその解法に共通する「あるルールを導き出すこと」が、問題の本質なのです。
私もアメリカで、確か二次方程式の問題だったと思いますが、何の迷いも無く「解の公式」に当てはめて一瞬にして答えを出していました。
あまりに私が早く終ってしまうので、友人が「どうしてそんなに早くできるのか?」と感心して聞いてきたので、「え?解の公式を知らないの?これを覚えていれば全て当てはめるだけだよ」と私は得意になって教えててあげました。
その時の友人からの言葉が今でも忘れられません。
「So what?」
友人がいったのは、「その解の公式を求める為に、あーでもないこーでもないを繰り返して、ルールとしてのそれを見つけようとするのがこの問題でしょ?それを最初からそのルールを覚えていても何の意味も無いでしょ。」ということでした。
そういわれれば、その通り!解の公式を暗記し、計算を間違えずに解答することが、「勉強が出来る」と言う評価を与えられる日本の教育と、その解の公式に代表されるという「ルール」に近づこうと試行錯誤することが、評価の対象となる欧米の教育、この違いを嫌と言うほど見せつけられた瞬間でした。
このことは、日本の企業は、欧米企業のように、革命的な新技術を発明することが苦手で、欧米企業の発明したものを「改良」することに長けていると言うことと無関係ではないでしょう。
また、ノーベル賞受賞者の数の差もそのことを物語っているように私には見えます。