代表ブログ

真実の行くえ

2009年9月8日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

「それでも私はやってない」という日本映画をみました。

2週間くらい前にニュースで痴漢裁判で最高裁まで無実を主張しつづけて、最終的に刑が確定され支持者に囲まれながらも刑務所に収監されてしまった方の特集をやっていて、その人がモデルになった映画だということで見てみました。

この映画を観る前は、私は、警察や検察の取り調べで、「自白」を強要されたとしても、本当にやっていなければ自白などするわけがないだろうという考えでした。

ですから、少なくとも自白した後、そのことを翻すような人は真犯人なのだろう。と心のどこかで思っていました。

自分では考えられないからです。

この映画では、逮捕された後の被疑者がどのような状態にあり、その中でどのような精神状態になるのかということをリアルに感じられるつくりになっていました。

これは映画ですから、被害者の立場からのアングルで撮った場合と、今回の場合のように被疑者の立場からのアングルで撮った場合では、見る側の感情はおそらく正反対になるのだろうとは思います。

でも、少なくともこの映画のように、被疑者アングルでとらえた場合には、誰もが感情的には、日本の刑事事件の捜査、裁判制度にひそむ「危険」を感じざるをえないのではないかと思いました。

それでは、どうしたらいいのかという解は、この映画では提示されていません。

痴漢のような証拠を見出しにくい事案で、痴漢をされた側が、「された」証拠を出さなければ被疑者に有利の原則を作ってしまえば、日本の電車内はどのようになってしまうかわかりません。

しかし、この映画のような状況が、必要にして最低限の犠牲なのかと問われればそうではないとも思います。

乗客を駅員が押し込まないと入れないくらいの日本の電車の中でのこのような出来事を解決する場所を裁判所だけにしておくことは恐ろしいことだとはいえると思います。