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積ん読のススメ

2017年6月26日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2017年6月9日)の日経MJに普段のもやもやを解消してくれる非常にありがたい記事がありました。

それは、「積ん読~本を読まずに積んでおく美学~」というものです。

実は私も、「積ん読」してしまうことに少なからず「罪悪感」を感じる生活を長く続けてきました。

特に、アマゾンを利用するようになってからは、ほぼ慢性化しています。

というのも、一つの本を読んで、その本の中で紹介されている本やその本に関連したものをすぐに買ってしまうからです。

ですので、当然読むスピードと購入スピードのアンバランスが生じ、じわじわと「積ん読」が増えてしまいます。

そうなると、もったいないという感情が蓄積していって、その感情が次第に「罪悪感」に変化していきます。

しかも、それら「積ん読」は目に見える形で存在しているので、非常に頻繁にその「罪悪感」を再認識してしまい、いかにも始末が悪いのです。

しかし、この記事では、なんとこの「積ん読」をポジティブにとらえる考え方が紹介されていたのです。

「人はいつか読みたいと願いながら読むことができない本からも影響を受ける。そこに記されている内容からではない。その存在からである。」

「積ん読は素敵なこと。本屋を歩いていてこの本、気になるなっていうのは好奇心が刺激された証だから。」

「気になった時に即購入して積ん読せずに後で買わなかったことを後悔したことが何度もあった。時間がたってから読むと違う気付きもあったり、だから積ん読は解消しちゃだめ。」

これらの言葉を見て、「はっ」としました。

今まで私は、仕事に関して、本から得られた知識で本当に助かったことが数えきれないほどありましたし、その知識を得る前と比べて人生が格段に豊かになった経験を何度もしています。

そんな素晴らしい経験をさせてくれる可能性のある本ですが、一冊当たりの金額は高くても2,000円程度です。

そうなると、本を購入するという行為を、一つ一つの本に対する費用対効果を考えながらすることは明らかにナンセンスだということになります。

つまり、本の購入行為は、消費行為ではなく、投資行為であると考えるべきだと思うのです。

ですから、少しでも気になった本は自分の手の届くところに置いておく「積ん読」という行為は、非常に合理的な行為であるということに心から納得したのです。

これからは、私の「積ん読」の増加ペースに拍車がかかりそうです。