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世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか

2020年6月5日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日ご紹介した「仕事ができるとはどういうことか」を読んで、お馴染みの楠木教授の冴えわたる主張に大変満足したのですが、本書を共同で書かれた山口周氏の主張についても、楠木教授が「自分とフィーリングが似ている」とおっしゃるだけあって、これまた痺れてしまいました。

そこでさっそく、本書の中にも登場していた「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」も読んでみることにしました。

ようやく日本人の多くが世界のエリートは企業の経営者になるためにMBAを取りにビジネススクールに学びに行くのだということを理解し始めたと思ったら、実はMBAはもう古く、今度はMFA(Master of Fine Arts)を取りにアートスクールに学びに行くのだというのです。

本書のタイトルを読んだだけで、日本のビジネスマンがどんどん世界から取り残されてしまうのではないかという焦りを感じてしまいますが、せっかくですので、なぜアートスクールなのかという理由を本書から抽出してみたいと思います。

ここが最も誤解されやすい所だと思いますが、著者は経営に対してのMBA的な知識、すなわち「論理」や「理性」というものの価値を否定しているわけではありません。

それらの知識は「経営」のおいて当然にして必要なのですが、世の中の発展に伴って、経営がMBA全盛時代に比べてずっと複雑になってしまったことから、それだけでは足りなくなってしまい、それらに追加して「美意識(アート)」が必要となってきたと言っています。

つまりは、MBA的知識が当たり前の時代となり、それによって導かれる「正解」がコモディティ化して価値のインフレを起してしまったということです。

経済がまだ発展段階にあり、人々が経済的に満たされない状態の時のニーズは単純です。そのような段階では、MBA的知識がそれを満たすための「正解」として非常に大きな価値を持っていました。

しかし、人々が経済的に満たされ、ニーズが多様化した現代では、ニーズを満たすために分析しなければならない変数が複雑に絡み合うので、MBA的な知識、すなわち「論理」や「理性」だけでは価値ある「正解」とはなりえないのです。

このことは、現代の「経営」というものにおける「数値化」には確実に限界があるということをまず知り、まずは「論理」や「理性」を使ってやるべきことをやった上で、「アート」すなわち「直感」や「感性」の力を使う意識が必要であるということを示唆しています。

では、その「アート」「直感」「感性」とは何なのかということなのですが、MBA的な知識についていくのがやっとな私としては、残念ながら本書での解説だけで完全に理解できたとは思えません。

ただ、著者がカントの言葉(難しすぎて引用不可(笑))を解釈した文章がその理解のヒントとなると感じましたのでその部分を引用します。

「カントの言葉の意味は『美しい、ということは何らかの普遍的妥当性がある』ということでしょう。『この包丁は良い包丁だ』という時、人はその『良さ』を『モノを切るという包丁の目的』に沿って理解する。ところが、『美しい』という言葉は、そうではない。『美』は、必ずしも目的がはっきりしていない場合であっても『美しい』と感じられる。そして、『美しい』と人が感じるとき、それはなにがしかの合理的な目的に適っているというのがカントの指摘です。」

だから「アート」は「非合理」ではなく、「超合理」な存在だということです。

「論理」や「理性」でやれるところまでやったなら、あとはこの「超合理」に問題解決を任せようというのが、今どきの世界のエリートの選択なのだと理解しました。