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「仕事ができる」とはどういうことか?

2020年5月20日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

普段当たり前のようにして使っている表現も、具体的にはどういうことなのかと考えるとその「当たり前」の度合いが高ければ高いほど、定義するのが難しいものです。

まさにこの「仕事ができる」という表現の定義は、まさにその最たるものかもしれません。

私が尊敬する経営学者である一橋大学の楠木建教授が、今回は共著としてですが、またもややってくれました。

タイトルはズバリ「「仕事ができる」とはどういうことか?」です。

本書では、「仕事ができる」ことを以下のように定義しています。

「あっさり言えば『成果を出せる』。これが『仕事ができる』ということです。広い意味でのお客の立場で『頼りになる』『安心して任せられる』『この人なら何とかしてくれる』、もっと言えば『この人じゃないとダメだ』、そう思わせる人」

このことを考えるためには、「スキル」と「センス」という二つの要素が重要です。

そして、これらは「論理」と「直感」とも言い換えられ、「仕事ができる」という状態は、いくら「スキル(論理)」を積み重ねても決して到達できるものではなく、「センス(直感)」のなせる業であると本書では述べられています。

ただ、これも時代によって変わってくることでもあります。

例えば、日本が経済的に発展途上にあった時には、世の中に満たされていないニーズがたくさんあったわけで、そのニーズを埋める「スキル」を持っていれば、市場はそれを求めます。

そして、その「スキル」によって問題は解決されました。つまり、ここまでの時代では、「仕事ができる」ことの定義は、「スキルを持っていること」であったわけです。

しかし、経済が成熟するということは、多くの「スキル」によって、この問題を片っ端から解決して、この世から普通に生活する上での問題がほとんどなくなったということを意味します。

何十年も「引きこもり」を続けられるというのはまさにその証拠でしょう。

今、求められているのは、この「問題」が見つかりにくい世の中で「問題」を設定し、その解決方法を導き出すことです。

そのために必要なのが「センス(直感)」です。

だからこそ、今の時代では、「仕事ができる」ことの定義は、「センスを持っていること」なのです。

ただし、この「センス」というのは「スキル」と異なり、意図して育てることができず、ただ自分自身で育つことでしかないと本書では述べられています。

なぜか。本書におけるこの理由の説明が非常に秀逸でしたのでその部分を引用します。

「センスというのは自分で後生大事に育て、磨きをかけていくしかない。ただ、これの問題点は、やたらと『事後性が高い』ことです。事前に目的と手段の因果関係がはっきりと分からない。一通りやって振り返ってみると『ああ、そういえばああいうことをやって、いろいろなことがあったから、いま自分のこういうセンスなりスタイルができているんだなあ』ということが初めてわかる。人間にとって『事後性の克服』は永遠の課題です。」

だから、「スキル」を教えるセミナーは星の数ほどあるのに対して、「センス」を教えるセミナーにはなかなかお目にかかることができないのです。

だから、「センス」は希少なのです。