西郷南洲遺訓
2020年8月9日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
人間を評価するにあたり、最も本質的にその評価を行える主体というのはどのような立場の人でしょうか。
もちろん、その人自身ではありません。そして、その家族や身近な昵懇の人間でもないでしょう。
今回その視点で考えると、かつて「敵」であった人間からのポジティブな評価というのが、最もその本質に近くなるのではないかということを理解しました。
今回私は、「西郷南洲遺訓」を読むことでその理解を得ました。
「西郷南洲遺訓」は、ご存知明治維新の立役者である西郷隆盛の遺訓を「庄内藩」の藩士らが書き記したものです。
この「庄内藩」は、戊辰戦争で西郷率いる政府軍に徹底抗戦し、最終的に降伏した藩であり、西郷から見たら憎き「敵」であったのですが、西郷は勝者のおごりや敗者である庄内藩への侮蔑など一切見せずに予想外の寛大な処置を見せました。
これに感動した庄内藩が、その後西南戦争で西郷が新政府に対して反乱を起こし、賊名を追って死んだ後も、西郷への尊敬と感謝の念を込めて彼の遺訓を遺したものです。
この庄内藩士が作った「西郷南洲遺訓」は、まさに冒頭で述べた「かつて『敵』であった人間からのポジティブな評価」の書です。
その中から一つ「外国の猿真似をしてはならない」という遺訓を取り上げて紹介したいと思います。
「新しい国づくりに際し、広く諸外国の制度を採り入れ、文明開化を推し進めようとするならば、まず我が国の本分(特質)をよくわきまえ、道徳の教えをしっかりと強化して、そしてその後、ゆっくりと諸外国の長所を取り入れるべきである。そうではなく、ただむやみに外国の真似をし、見習うならば、日本の国は弱体化し、日本人の美点が失われ道徳も乱れて、救いがたい状態になってしまう。最終的には国家の独立を失って、西洋列強の支配をうけることになってしまうだろう。」
何が必要で何が大切か、それを論じることなく、何でも無批判に右へ倣えで西洋を真似ることの愚かしさを指摘しています。
明治維新後、多くの政府関係者が西洋化を推し進めるために「むやみに外国の真似」をすることに対して西郷は警鐘を鳴らし、「愚直な成長」を目指すべきだと主張することで最後には下野の上、西南戦争につながりました。
当時、多くの政府関係者はこのような西郷の姿勢を「世間知らず」の「頑固者」として煙たがったのかもしれません。
そして、日本政府は実際に彼を排除しながらも日本は富国強兵に成功し、アジア唯一の列強に数えられるようになりました。
そして、その後、太平洋戦争の敗戦によって壊滅的な打撃をつけながらも高度経済成長を実現することで世界第二位の経済大国にのし上がることに成功したことで、一時的には日本の「外国の真似」は西郷の「愚直な成長」よりも評価されたのかもしれません。
ところが、もはや成熟期を迎えた現代の日本社会は、「外国の真似」では解決できない課題に直面しており、その限界を誰もが実感しています。
それは、西郷が主張した自らの本分をわきまえた日本独自の美点による「愚直な成長」にいままで目を向けずにここまで来てしまったことが原因でしょう。
負けることが分かっていても自らの「独自の美点」を貫き通した「庄内藩」だからこそ、敵であった西郷のこの信念について本質的にその評価を行える主体となりえたのだと思います。