(経営)学者の役割とは
2012年8月18日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
今週は、一冊の本を通じて、経営学者さんの本来的な社会的役割というものについて考えさせられましたので、そのことについて書いてみようと思います。
その本は、私が尊敬する一橋大学の楠木建教授の「ストーリーとしての競争戦略」です。
よく言われることに、
「経営学者が偉そうな理屈を言ってるけれども、彼らが実際に会社を経営したらすぐ潰れる」
というようなことがあります。
それに対して、当の学者さんは、実践と理論の違いはあって、我々は理論の側で活動しているのだと主張されると思います。
それはそれで、一つの考えですが、やはり、実践に何も役に立たない理論は理論と言えるのかという考えも同時に成り立ちます。
本書では、経営学者である著者が一番最初のところで、自分自身の経営学者としての役割を謙虚に、そしてスマートに説明した上で説明を開始されています。
要点を捉えて要約しながら引用します。
「実務家とすれば、実務経験のない我々学者に『お前に何ができる』と言いたいことはよく理解できます。でも、経営と経営学が一緒というのであれば、そもそも私は学者になっていません。であれば、学者だからこそ、実務家に提供できる価値があるはずなのです。アーティストである経営者は、その会社の事業の文脈にどっぷり埋め込まれてしまって、とても近視眼的になってしまっています。そして、その事業は、体感的に理屈で説明がつくこと2割、つかないこと8割です。だからこそ、『学者の理屈は机上の空論』と揶揄されるというのも分からないことではありません。しかし、考えてみてください。アーティストである経営者が、逆説的ですが、理屈の部分の2割を理解しなければ、理屈ではない8割の部分にフォーカスできるわけもないのです。そのために、アーティストではない、あくまでも『研究者』である我々学者が、多くの経営者が、動いて実践しているいくつものケースを止まって見ながら、分析、整理してまとめた結果を、彼らに提供すると言うことはそれは一つの価値ではないかと考えています。」
この本では、その2割の部分についての「論理性」について、これでもかというくらいに手を変え、品を変え、そして何度もしつこい位に繰り返し説明をしてくれています。
そして、本書を読み終えた私はその学者の存在を本当に価値があるものだと思えるようになっています。
そのくらい、説得力のある素晴らしい本だと思いました。
簡単なことを難しく説明するのは単なるバカで、難しいことを難しく説明するのは凡人で、難しいことを簡単に説明するのが賢人だというようなことを聞いたことがあります。
スターバックスをことごとく真似したドトールコーヒーのエクセルシオールが、後出しジャンケンのはずなのにそのパフォーマンスが遠くスターバックスのそれに及ばないことの意味をここまで腹に落ちるような形で説明してくれることは、明らかに一つの大きな価値だと思います。
複雑な因果関係を丁寧に、そして、しっかりとつながりとして理解させてくれています。
明らかに、賢人の技だと思います。
学者の存在価値を再確認し、彼らへの尊敬を取り戻すきっかけとなる偉大な本でした。
この本は是非、速読や斜め読みではなく、何度も何度も立ち止まりながら、自分のやっていることに当てはめ、消化し、また前に戻りながらじっくりと味わうべき本だと思います。