
不動産の教室
2026年1月2日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
少し前に、「2025年東京不動産大暴落」という本を紹介する記事の中で、ランゲッジ・ヴィレッジを運営する大芳産業株式会社が「不動産事業」も行っており、私が不動産関連の書籍もそこそこ読んでいることについて触れました。
今回もその流れで、「不動産の教室」という一冊をご紹介します。
本書は一見、今どきの不動産投資のノウハウ本のように見えるのですが、実は日本における我々国民の不動産との付き合いの(江戸~現在の)歴史を概観できるかなり読みごたえのある本でした。
そこで今回の記事ではその歴史を私なりに書き留めておこうと思い、以下にその要約をさせていただきます。
まず江戸時代では、都市部は武家地、寺社地、町人地などに分けられ、武家地は江戸の土地の約6割強を占めており、一般庶民が土地を所有する概念は希薄でした。武家地は幕府から幕臣などに分け与えられただけでなく、大名にも藩邸などに使用する土地が与えられており、時代が進むにつれて、財政難に陥る大名と積極的に所有土地を増そうとする大名の間で「相対替(あいたいがえ)」という土地の取引が行われるようになり、大名間で財政運営の巧拙の差が出てくるようになります。
一方、農村部では田畑を所有する本百姓が小作人たちを使って米を生産し年貢を負担する仕組み(米での物納)でした。
明治維新が起きると物納の仕組みを地租改正によって、土地所有者に地券を発行して現金で納税させる仕組みに変わります。そこで、今まで納税が免除されていた武家地や町人地を含むすべての土地が課税対象となりました。ちなみに課税水準は地価の3%で、これが現在の固定資産税(現在は1.4%)のはじまります。
時代が移り、太平洋戦争が始まった1941年頃の東京市(現23区)の持ち家率はわずか25.2%、名古屋市では18.2%、大阪市は9.2%で、いわゆる都市部では多くの市民は民営の借家に住んでいました。
一方、農村部(昭和初期の農家率は6割程度でそもそも現在と比べマジョリティ)では、都市部と比較して持ち家率は遥かに高かったと考えられますが正確なデータはないようです。
太平洋戦争で日本の都市部はほとんど廃墟と化しましたが、ご存じの通り日本はそこから見事に立ち直り高度経済成長を遂げます。その結果、人口が急増します。具体的には、敗戦直後の7200万人から1970年には1億372万人と44%もの人口増を成し遂げます。世界史上、四半世紀で人口が4割も増加したのはこの日本の例しかないようです。
このように増加した人口は、全国各地に設けられた工業化拠点だけでは吸収しきれず、農村地域の長男長女以外はそのほとんどが東京、名古屋、大阪の三大都市圏に集中していき、彼らはそのまま故郷に帰らず、三大都市圏で家庭を持つようになります。
そのため、慢性的な住宅不足が社会問題化しました。
その対策として国は公団による団地の大量供給を図ります。1955年の公団設立時には全国で実に271万個が不足していたといいます。(現在は逆に空き家が900万個をこえるといいますから隔世の感があります。)
1972年には田中角栄総理による「日本列島改造論」で、日本列島を新幹線や高速道路と言った社会基盤整備を行うことで改造するという提言がなされ、都市部に集中した人や金の分散を目指しましたが、新幹線や高速道路は地方と都市をつなげただけで、地方と地方をつなぐまでには至らず、逆に地方から人や金を都市部に吸い上げる勢いを高める結果になってしまいました。
またもや、慢性的な都市部での住宅不足はさら悪化したことになります。
そして、都市部に流入する人たちの多くが事務系サラリーマン(ホワイトカラー)であり、彼らの受け皿として大規模な郊外ニュータウンの開発が進んでいきました。
これにより、今までの国鉄のターミナル駅を基点とした私鉄による路線の拡大によって、「(長距離)通勤社会」が作られていきました。
このように、郊外に郊外に広がることで住宅不足の解消を図っていったのです。
1985年になると、日本企業は世界のマーケットを席巻し、大幅な貿易黒字をたたき出すことになるのですが、それを嫌った他の先進国との「プラザ合意」によってドル高の是正と貿易不均衡の改善を約束させられたことで、急速な円高ドル安による不況を招き、国はそれに対応せざるを得なくなりました。
具体的には、貿易黒字を削減するために内需拡大をしなければならないため、民間の投資意欲を高めるために低金利政策をとったことで、大量に企業にお金が流入したけれども、その使い道に困り、そのほとんどが「不動産」に流れ、不動産価格が激しく上昇、本業で稼ぐのが馬鹿らしくなって、多くの企業が「不動産」や「有価証券」への投資に没頭するようになってしまったのです。
これが「狂乱地価」を生み出したバブル経済と呼ばれるものです。
国は、この「狂乱地価」に対応せざるを得なくなり、日本銀行が政策金利の引き上げをし、また大蔵省がすべての金融機関に「土地関連融資の抑制」の通達を出したことから、多くの企業が保有する不動産を売却することができなくなり、倒産、金融機関は多額の不良債権を抱え込み、いわゆる「バブル崩壊」となった。
この「バブル崩壊」は、重工業からサービス業への産業転換を促進し、それまでの地方圏からの三大都市圏への人口流出が、東京一極への流出へと変わっていきました。
それによって、東京一極における不動産の実需が生じることになったのです。
しかしながら、この「バブル崩壊」によって、日本の金融機関は不良債権の処理にその後長期にわたって取り組まなければならなくなり、また大手不動産ディベロッパーも自らが抱える不良資産の処理に悩み、その実需に応えるための体制をとることができませんでした。
そこで考えられたのが、不動産を証券化して、幅広く投資資金を集め、不動産ディベロッパーが自ら所有することなくその運用を行うという手法です。
また、それに加えて、2012年に誕生した第二次安倍内閣と日本銀行の黒田総裁によるアベノミクスと言われる大胆な金融緩和が行われ、再びお金が建設不動産マーケットに一気に向かうことになったのです。
それによる東京の不動産価格の高騰は現在も続いているわけですが、ここへ来て日銀の黒田総裁に変わった植田総裁による「金利のある世界」に戻す政策が実行に移されつつあるので、今後のこの情勢がいつまでも続くことは考えづらいというのが著者の見立てのようです。
このように、日本の近代からの不動産の歴史をまさに「概観」してきて真っ先に思うのは、「不動産」はどこまで行っても「実体」すなわち、価値ある土地建物とそれを使いたい人の存在があって、その供給と需要が一致してはじめて安定した市場が形成されるということです。
にもかかわらず、この歴史から見て取れることは、近代から現代にかけてそれが実現されたと言える時期がほとんどなく、一貫して「実体」以外の要素に踊らされ続けてきた歴史しかないように私には見えてしまいました。
このことから、自分自身、「不動産」を生業にする以上、このことについてもっと真剣に考えていくべきだと肝に銘じるべきだと思った次第です。









