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古川ロッパ

2025年12月21日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

以前に一橋大学の楠木建教授の「仕事と生活についての雑記」を取り上げて、「自分が最も影響を受けた人」としてご自身の専門分野である「競争戦略論」の大家マイケル・ポーターを差し置いて女優 高峰秀子を躊躇なく選ぶという発言があったことを書きました。

その際、私自身も彼女に強烈な興味をもち、「高峰秀子 ベストエッセイ」と「高峰秀子の流儀」の二冊を読んだことを報告しました。

それ以外にも、楠木教授は自分が大きな影響を受けた人として、例えば、元祖テレビ屋と言われる井原高忠氏の名前を「疾走するセンス」、「天才」、「戦略ストーリーの塊」というような言葉で大絶賛しながら挙げられていたことはすでに「飄々と生きる」の記事でご紹介しました。

このように、彼は自分のものを考える際の基準となるものを、自分の専門分野以外の第一人者から見出していることを著書にて明らかにされることが多いのですが、実は教授にはそのような存在がもう一人います。

それが昭和初期の爆笑王として名高い古川ロッパ氏なのですが、私は、前出のお二人に関してもそしてこの古川ロッパ氏に関しても全くと言っていいほど知識がありませんでしたので、お二人の本と同時に「古川ロッパ 食べた、書いた、笑わせた!昭和を日記にした喜劇王」を購入をしていたのですが、本書だけが今の今まで積読状態になっていたにようやく気付きまして、ようやく積読解消と相成りました。

前置きが長くなりましたが、以下に本書を読んでの雑感を記したいと思います。

本書には、古川ロッパご本人が書かれた随筆、彼と同時代人で親交のあった方々が彼について書かれた随筆、そして楠木先生が絶賛されている彼の「古川ロッパ昭和日記」の一部とそれに関する解説文などが幅広く収録されており、「古川ロッパ」のことを概観できるようになっていました。

ただ、楠木先生が彼を名文家として大絶賛されていたので、彼の随筆を真っ先に読み始めたのですが、その時代のエンタメ界の人間関係等が全く分からない私には、その内容が全然頭に入ってこず、正直何が素晴らしいのがさっぱりわかりませんでした。

つまり、それは私にそのセンスを受け取るアンテナがないということが明らかになってしまったということで、これは大きなショックでした。

しかし、それ以外の彼と同時代人で親交のあった方々が彼について書かれた随筆などはそれなりに面白く読み進めることができ、その中には「古川ロッパ」のすごさが分かるエピソードもあり、十分楽しむことができました。

例えば、彼は早稲田大学在学中に菊池寛にその文筆の才を見出され、彼が経営する文芸春秋社に入社し、雑誌『映画時代』の編集者となるが、雑誌編集の傍ら、宴会での余興芸の延長線上として当時親交のあった徳川夢声らとナヤマシ会を結成し演芸活動を開始し、今でいう声モノマネを芸として確立し「声帯模写」と名付けたと言われていますが、この件についてその徳川夢声氏が随筆において次のようなエピソードを紹介しています。

「私はそのころ酒と睡眠剤を飲む癖があり、ラジオ放送当日に人事不省で寝込んでしまった。家内が大いに慌てて、ロッパ君を読んで相談したところ、ヨロシイ何とかしましょう、と彼は私の代理を引き受けて放送した。その数日後私の妻はつくづく言った。『全く妙テケレンな気持ちがしたことよ。離れからは確かにあんたのイビキが聞こえているのに、ラジオにもあんたが出ているんですもの、なんだか気味が悪かったわ。』というわけで、ロッパ君は40分間の放送を、徹頭徹尾私の声色でやってのけたのであった。こんなことは到底、普通の声色師のなしうるところでない。まさに天才の業であろう。」

彼の随筆にはその価値を正当に評価することができなかった私でしたが、このエピソードで「古川ロッパ」その人の凄さを理解することができ、何とかそのまま読み進めることができました。

そして、「古川ロッパ昭和日記」にたどり着いたとき、楠木先生の絶賛の意味がようやく分かりました(ちなみに、この古川ロッパ昭和日記は、デビュー時代の昭和7年にはじまり、死の二週間前の昭和36年1月2日までの29年間にわたり、400字詰め原稿用紙に換算して約3万枚にも及ぶ大部であったといいます)。

というのも、解説の紀田順一郎氏の言葉を借りれば、

「日記の作者は偉大な知的情熱の人か卑小な俗物かに分けられてしまい、両者を兼ね備えた存在にであることは極めてまれであるが、ここに一つ古川ロッパという例外がある。昭和一桁の末期から戦後の三十年代まで演劇人として活躍、大変な美食家としても知られた彼の日記は、単に芸能人の日記として珍しいばかりでなく、明るく生き生きとした日常性と生活感にあふれ、知的意欲も旺盛といった積極的な人柄が余すところなく表れていて、一般に暗くいじけた基調が目立つ日本人の日記の中では極めて特殊な存在となっていることに注目したい。」

という実に「イキイキとした」という形容がぴったりの名文がそこにあったからです。

そのプライドの高さゆえに、決して理想的な最期ではなかったようですが、それでもその大きな才能がこの世に大きな影響を与えたことに間違いありません。

 

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