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「育休は休みではない」という哲学

2023年1月29日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2023年1月29日)、「異次元の少子化対策」をぶち上げて「異次元の低支持率」を払拭しようとしている岸田政権のその目標が圧倒的にかすんで見えてしまうような目の覚める記事を読みました。

それは、男女平等の実現状況を示す「ジェンダー・ギャップ指数」が13年連続1位のアイスランドのグズニ・ヨハネソン大統領へのインタビュー記事です。

ちなみに、2022年のジェンダー・ギャップ指数のランキング1位のアイスランドは0.908で116位の日本は0.65です。1が完全に平等を示すので、0.65の日本では女性が男性より35%も不公平に扱われているということになります。

ジェンダーギャップ指数は以下、

経済(労働参加率・同一労働における賃金・収入格差・管理職の男女比・専門技術の男女比)
政治(議会や閣僚など意思決定機関への参画・過去50年間の国家元首の在任年数における男女差)
教育(識字率・初等教育就学率・中等教育就学率・高等教育就学率の男女比)
保健(出生時性比・平均寿命の男女差)

4分野の統計データから算出されるので、完全にジェンダーギャップ=少子化という図式が成り立つわけではありませんが、かなりの相関関係は認められるはずです。

まずは、現時点で掲げられている岸田政権の「異次元の少子化対策」の目標と懸念について

「少子化対策の柱は、1)児童手当など経済的支援の強化、2)学童保育や病児保育、産後ケアなどの支援拡充、3)働き方改革の推進、の三つとなる模様だ。その中で、経済支援策の中核となるのは、児童手当の支給額拡大である。現行制度では、中学生まで1人当たり原則1万~1万5千円が支給される。自民党内では第2子には3万円、第3子には6万円に増やす案、公明党内では18歳まで支給対象を広げる案が議論されている。所得制限(世帯主の年収1,200万円程度)を見直す議論もある。これらを実現するためには、数兆円単位の新規財源が必要となる。3兆円規模との指摘もある。いずれにせよ、安定財源の確保が不可欠となる。ちなみに、こども家庭庁の来年度予算案の総額は4.8兆円であるが、そのうち、児童手当は1.2兆円と予算の4分の1を占めている。」

正直私はこの内容を見て、たとえこれが国会での満額回答を得て100%実行に移されたとしても、日本の少子化が劇的に改善するような予感がしませんでした。

というのも、日本の平均給与は1996年の467万円をピークに12%程度下がっていますので、単純計算で56万円も下がっていることになりますから、仮に子供二人を設けて月に4万円をもらって年間48万円ですからそれでもまだマイナスなのです。

しかも、1996年の時点でも少子化は着々と進行していたことを考えるとこれが逆転ホームラン的な効果を生み出すことはありえないでしょう。

誤解しないでいただきたいのですが、これは「やってもしょうがない」という批判ではないですよ。当然にしてこれらは当然にやるべきことです。しかし、これだけやっても全然「異次元」ではなく、「焼け石に水」レベルに過ぎないという意味です。

先日の記事を読んで気づかされたのが、少子化対策にとって重要なのは、金額云々の前に少子化に立ち向かうための「哲学」をアイスランドに学ぶべきだということでした。

グズニ・ヨハネソン大統領によるアイスランドの少子化に関わる「哲学」がにじみ出た発言を以下に引用します。

「アイスランドの育休制度は、母親6か月、父親6か月、そして父母共有の6週間の育休が取得でき、その間の給与の8割が政府から支給されます。男性の取得率は8割を超えています。日本も男性育休制度が変わったばかりですが、育休取得率の男女差がとても大きいのが現状です。育休の平等に関する法律が制定されたことで、私たちは男性として、父親として、社会として多くの恩恵を受けています。そして、それが私のキャリアに影響を与えるかもしれないという疑問は全くありませんでした。私はただ休暇を取り、その後、自分の専門分野を続けてきました。これは誰もが利益を得ることができることを示しています。男性が不自由になるわけでも特権を失うわけでもありません。これは公平性の問題であり、男性が弱くなることではありません。従業員、男性、父親としての義務を果たし、仕事に復帰する権利を与えることは、会社の長期的な利益につながるという考え方が、企業などの間で共有されなければならないと思います。育児休暇はホリデーではありません。自分の担当すべきことをするということです。それを自由な休日のように見てしまうと、誤解が生じると思うんです。私たちにはそれができています。日本にできないはずはありません。」

私は今までの日本の「育休」に関わる議論はとても歪なものだと思ってきました。

なぜなら、今まで日本政府は、男も女も「育休」をとるべきだと啓蒙しながら、「育休」に関する負担を完全に企業に丸投げしてきたと言えるからです。

というのも、厳密には直接的な費用は雇用保険から支出されますが、誰かが「育休」をとった場合に企業が何の対処もしなければ、残った社員の負担が増えることになるのです。

*ちなみに、支給額の計算方法は、原則として、休業開始時賃金日額×支給日数×①67%(または②50%)となり、要件を満たせば、育休を最長2年まで延長可能。(①育休開始から6ヵ月目までの場合 ②  〃   6ヵ月を超えた場合)

それが分かっているから、「育休」をとるべきだと政府が言っても、そこに企業にも本人にも職場の仲間にも躊躇が生じるのは当たり前です。

このグズニ・ヨハネソン大統領の発言で最も重要なことは、「育休は休みではない」という哲学です。

ここまでどうしようもないくらいに少子化が進んでしまった日本では、いっそのこと国民の「権利」ですらない「義務」とすべきかもしれません。

例えば、男も女も子供が生まれたら同じ長さの「育児休暇」を順番にとる義務があり、それを回避することはできないようにする。その上で、企業に生じる損失は国家が負担するという。

まるで、あのBTSのメンバーでさえ逃れることのできない韓国の「徴兵制度」のように。

上記のような「異次元の少子化対策」の内容に加えて、このような「哲学」を日本国民全体に浸透させるくらいでなければ、もはやこの問題は解決できないように思います。

 

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