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守るものの「重さ」について

2024年6月10日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

ここ数日日本中を騒がせているニュースに「国立マンション問題」があります。

ほぼ完成段階の高級マンションが、周辺住民の反対を受けて解体されることが決定したというこの問題。

なぜこのようなことになっているのかを分かりやすく説明して部分を上記の記事から引用します。

「国立市の資料を見ると、富士見通りは『近隣商業地域』にも指定されており、建物の高さは31メートル(10階建て)もしくは28メートル(9階建て)に制限されている。今回の物件は10階建てなので、建設事業者は市に届けて法令上は問題なしと判断されていたのだろう。ただ、写真を見ると建物は国立駅側からの富士見通りの眺望に突き出る形で建っており、以前は全体が見えた富士山を半分くらい覆っている。国立市では『周囲の建築物から突出した形状や色彩』は禁じられているので、この規則に抵触すると判断される可能性はある。つまり、行政の手続き的には問題がなかったとしても、それと周辺住民の意見・行動は別の話、ということだ。」

私は大学生時代(1997年から2001年)、国立の街に通っていましたので、この市がこの街の景観保護に関して並々ならぬ努力をされてきたことを良く知っています。

ちょうど私が通っていたころも、これに似た以下のようなマンション問題がありました。

「かつて国立市ではマンション建設をめぐって住民と建設事業者が対立し、訴訟に発展したことがある。2001年に完成した一橋大学の南に位置する『クリオレミントンヴィレッジ国立』について、1審判決(2002年12月)は、原告側の主張を認め、竣工済みの高層マンションの20m以上の部分について撤去を命じた。しかし、その後の高裁判決、最高裁判決では認められず、確定した。」

(右上に見えるマンションがクリオレミントンヴィレッジ国立)

このマンションは最終的にそのまま存続することを許されたわけですが、途中経過として一度は「施行済の20m以上の部分を撤去せよ」という判決が出たときには「どうやって一部を取り除くの?」と、その判決に驚くとともにその実効性に疑問を持ったことを覚えています。

今回は、法律的には問題なしと判断されたものが、一部の撤去ではなく全体を解体するということを施行者が決定したということで、当時以上の大きなニュースになったのだと思います。

今回のブログ記事では、この問題に触発されつつも、直接的にはこのニュースに関する是非とは別の問題提起をしたいと思います。

それは、このような景観問題による建物解体にとどまらず、まだまだ耐用年数に達していない建物を解体して、また別の建物を建てるという経済行為自体の是非です。

というのも、最近では環境破壊を食い止めるべくスーパーやコンビニでのビニール袋の有料化が浸透してきましたが、その一方で、まだまだ新しい建物を土地の使用用途の変更のため、取り壊して、時にはほとんど変わらないような建物をその場所に建てるようなことが当たり前のように行われています。

そのような行為による環境負荷とスーパーやコンビニでのビニール袋による環境負荷を比べた時、後者のようなつつましい努力が一瞬にして無に帰してしまうような虚しい気持ちになるのは私だけではないと思います。

もちろん、環境保護は待ったなしの重要課題です。

しかしながら、順序が違うのではないかと私は思うのです。

まだまだ新しい建物を取り壊して、新たに大して変わらない建物を建てるという行為には、それこそ「環境コスト」を反映させるべく、大いなる税金を課すということを、「ビニール袋の有料化」などよりもずっと前にやるべきなのではないか、そのような解体現場を見るたびに私は思ってきました。

それと同じように、今回の国立マンション問題でも、「景観を守る」ことと「環境を守る」というこの二つの「行為」によって守られるものの「重さ」ということに、マスコミをはじめ社会の目が向いていないことには、私には全く納得がいっていません。

 

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