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粗にして野だが卑ではない

2025年12月25日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日サイバーエージェントの藤田社長の「勝負眼」のご紹介の記事を、

「世にも稀有な経験者である著者によるこれらの言葉たちは、どこまでも果てしなく価値が高いものだと言えるのではないでしょうか。」

という言葉で締めましたが、このような現代に生きる「稀有な経験者」からはこのようにかろうじて生の声として聴く機会はありますが、優れた経営者というのは数で言えば圧倒的に既に鬼籍に入られている方の方が多いわけで、そのような方々の経験を追体験したいと思った場合、経済小説というのがそれを実現する有力な手段になります。

小説嫌いの私ですが、そのような体験ができる歴史小説や経済小説には純粋に自然体な読書欲を掻き立てられるわけですが、読みたい読みたいと思っていてもなかなか手に取る機会を逸していたものに城山三郎の「粗にして野だが卑ではない」と「もう、きみには頼まない」があります。

この度一気にこの二冊を読みましたので、今回と次回で一冊ずつご紹介したいと思います。

今回の「粗にして野だが卑ではない」は、戦前、三井物産に35年間在職し、ニューヨーク支店などで圧倒的な業績を上げた後、78歳という高齢で財界人から初めて国鉄総裁になった石田禮助の人生を描いたものです。

頑固一徹な性格でありながら、ビジネスに関しては長い海外経験から合理性をどこまでも追及する二面性を持ち合わせたまさに「粗にして野だが卑ではない」人生をじっくり堪能できる一冊になっていました。

本書のタイトルである「粗にして野だが卑ではない」は、石田禮助が国鉄の総裁在任後、国会初登院時に自らの性格を説明した言葉として有名だが実際には次のようなものでした。

当時の国鉄は、国会議員に対して全く頭が上がらない存在で(国会議員はその権威とともに国鉄の大株主の権威を併せ持った主だという自負があったため)、その総裁は彼らに大姑小姑どころか、主に使えるがごとく応対するのが当たり前だったが、彼は例の発言をした国会初登院時の挨拶にて背をまっすぐ伸ばし、国会議員たちを見下ろすようにして、「先生方」とは呼ばずに「諸君」と呼びかけ、

「嘘は絶対つきませんが、知らぬことは知らぬというからどうかご勘弁を。生来、粗にして野だが卑ではないつもり。丁寧な言葉を遣おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うとマンキー(猿)が裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあれば、よろしくお許し願いたい。(中略)国鉄が今日のようなひどい状態になったのは職人たちにも責任がある。」

と言い放ったといいます。

続いて、彼の「粗にして野だが卑ではない」性格を最もよく表していると思われるのが、次のエピソードです。

「(三井物産シアトル支店長時代)石田は理屈の通らぬことは断じて譲らず、先輩である他の支店長相手に、電話で激しくやり合った。一方、支店内では、これはと思う人に仕事を任せきりにして、小さなことはあれこれ言わず、ポイントをついたところだけピシッという。このころから蝶ネクタイ姿。背をまっすぐ伸ばし、さっそうとした姿であった。日曜ごとに妻とともに教会に通い、アメリカ人、それも上流社会の連中と堂々と付き合って、位負けするところがなかった。当時の部下は『石田さんは会社の格だけでなく、日本人の格を上げた。アメリカ人に尊敬され、日本人というものを理解させた。』と語っている。」

そして、彼の「粗にして野だが卑ではない」な性格は死に際しても全く揺るぐことはなく、生前から、

「俺は坊主のお経なんて、まっぴらごめんだね。祭壇だけ設けて、来た人には車に乗ったまま会釈して通り過ぎてもらうようにしたい。」

と語っていたが、実際には石田家への道は狭く、しかも行き止まりの山道となっていたためそれを実行させられはしなかったようだが、生前から何度も打診のあった勲一等叙勲を再三にわたって拒否したものの死後、改めて政府から叙勲の申し出があったが、奥さんによほど言明していたらしく、

「やめてください。あれほど主人は辞退していたんですから」

と言わしめ、死後と言えどもこのライフスタイルを変えさせませんでした。

今からどんなに頑張っても、残念ながら自分にはこんな痺れるような生き様死に様を貫き通すことはとてもできそうにありません。

 

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