
10年後の仕事図鑑
2026年3月8日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
一橋大学の楠木教授による「逆・タイムマシン経営論」的に事象を見る考え方を時間が経ってから見直す、特に書籍や雑誌を時間が経って実際に読んでみてのブログ記事を書いてきました(前回は「日本のインターネットの父」と呼ばれるようになった村井純氏の「インターネット」)。
今回は、堀江貴文氏と落合陽一氏による「10年後の仕事図鑑」を逆・タイムマシン的な読書の対象としました。
これは2018年ですから今から8年前に出版されているのであと二年でこのタイトルの10年後になるという絶妙なタイミングでの実行となりました(あえて寝かしていたわけではなくたまたまこのタイミングで積読状態のものを発見しただけでしたが)。
実際に読んでみると、タイトルの「10年後」がハードルとなってしまい、落合氏が「消える・変わる仕事」にリストアップされている多くの仕事は、後二年後に少なくとも「消える」とは思えないものばかりだというのが正直な感想です。
(実際に堀江氏は「僕は未来のことを考えるのが嫌いだ。一年後だってどうなっているか分からないのに、10年後の未来を想像することに何の意味があるのだろうか。」と断った上で本書に名を連ねています。)
ただし、この一年で大きく動いて実際にニュースになっている「仕事」が少なくとも二つありました。
それは、「エンジニア(SE)」と「銀行員(事務・窓口)」のです。
まずは、アンソロピックのクロードによるSaaS業界への大打撃に関するニュースで、この業界における主力であり続けたプログラマーの新規雇用が危機に瀕しているとのことです。
もう一つは、みずほ銀行の事務職員のAIへの代替による5000人の削減に関するニュースです。
「10年後」までを後二年残すこの時点でのこの二つのニュースの存在は、本書のリスト化が方向性としてはそれほど間違っておらず、逆・タイムマシン的にそれ程恥ずかしい結果とまでは言えないような気がしました。
ただ、今回取り上げたいのは、このリストにおける個別具体的な仕事に関することよりも、落合氏のAIと人間の仕事の関係に関する次のような考え方についてです。
「動物は出産という人生の一大事を独自でやり遂げるが人間は医療という社会システムのお世話になるのが当たり前である。個人の能力と社会機能は背反することが多いが、社会の変遷とともに、全員が全能的能力を持っていなくてもよいことに気づく。そう、これが『最適化』であり『専門化』である。ずっと昔には『人間対人間』の関係で最適化が行われていたのだろうが、『人間対機械』の関係でもそうした最適化が行われるようになった。その最適化において検討する材料になるのはコストでしかない。つまり、機械が行ったほうがコストが低いのであれば機会に任せるのが最適なのだ。」
そして、その最適化はAIの発展によって機械が担う割合がどんどん増えていくわけですが、それがコストの問題である以上、社会全体のコストパフォーマンスは向上していくわけで、生み出される富も増加していくことになります。
そうなると、人間は人間の認知能力でしか対応のできない仕事のみを担うことで十分やっていけるようになっていきます。
そこで、次の指摘です。
「『AIに職を奪われる』と悲観する人は多いが、そもそも悲観的になっている人の職業自体、本来は人の認知能力に対して十分な仕事ではないということである。」
そうなのです。
機械がやってくれることを仕事として強制される状態ことこそが「悲観」の対象なのであって、人間しかできないことしかやらなくて済むということは「幸福」以外の何物でもないという理解にならないことの方が不思議だというのが著者の指摘です。
この指摘を受けて改めて私もその考えに合理性を感じました。
ただ、それは全体として増加した富の再分配が人間社会全体の幸せにつながる形(本書では堀江氏がその解決方法としてベーシックインカムを主張)で行われることが前提となることは言うまでもないことでありますが。









