
戦争はゲームなんかじゃない
2026年4月5日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
アメリカのトランプ大統領(およびイスラエルのネタニアフ首相)のイランに対する傍若無人な一連の行動に対して何か言ってやりたい気持ちを抑えきれない日々を送っていますが、昨日(2026年4月4日)の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」にその言ってやりたい文句を見つけました。
それは、「戦争はゲームなんかじゃない。そこには生身の人間がいるんだ」です。
以下、記事を引用します。
「この言葉が耳から離れない。零戦の搭乗員として真珠湾攻撃やミッドウェー海戦、ガダルカナル島上空での戦闘に加わった原田要さんの言葉だ。空中戦で敵機に機銃弾を発射したとき、苦痛で顔をゆがめる敵の搭乗員を見たという。『これが戦争なんだ』と自分に言い聞かせた。罪悪感に苛まれた戦後、他人を育てるために生きると決めて、長野市に幼稚園を開いた。体験を語り始めたのは1991年の湾岸戦争がきっかけ。空爆の映像を見た人が『ゲームのようだ』と話しているのを聞き、衝撃を受けたからだ。自身も敵機に撃墜され、死線をさまよった原田さん。2016年に99歳で亡くなるまで、戦場の空で見た現実を伝えた。米ホワイトハウスは、実際の攻撃映像と人気ゲームの画面を組み合わせた動画をSNSに投稿した。超大国の首脳部が戦争とゲームを結び付けている現実こそが、恐ろしい。」
ホワイトハウスの動画は(1:55~)
実際に命令を受けて戦地に赴いた者が自身の攻撃によって敵が苦痛で顔をゆがめる場面に接し、それ以降、罪悪感に苛まれるという経験。
百歩譲って、現実世界で戦争が回避できなかった場合でも、少なくともこのような戦争に伴う「心の痛み」というものが、次の戦争を最大限抑止する要因となりうるものと信じてきました。
それが一戦闘員どころか、戦争を指揮する国家の中枢、しかも超大国の首脳部が戦争とゲームを結び付けている現実ほど恐ろしいものはあるでしょうか。
先日、うちの子供たちとイラン情勢に関するニュースを見ていた時、彼らが「お父さんが生きてきた中で世界でこんなに戦争ばかり起こっていた時期ってあるの?」という質問をされたとき、その答えに窮してしまったという経験をしました。
私の世代が生まれたときは「冷戦構造」自体が実際の戦争の抑止につながっていて、「湾岸戦争」が初めての戦争らしい戦争でしたが、それでさえも国連の安全保障理事会の決議によって米軍を中心とした合計28か国で組織した「多国籍軍」がクウェートに侵略したイラクを排除し、クウェートを解放することが目的というものでした(ただ、この時も「ゲームのようだ」と言われていたことを覚えています)。
それが、昨今はロシアの対ウクライナ、アメリカの対ベネズエラ、対イランにしても超大国が国連を完全に無視して、軍事力に任せて自分のやりたい放題、しかもアメリカに至ってはそれをゲームと結びつけて、「お茶の子さいさい」と言わんばかりの傍若無人ぶり。
子どもたちの質問の答えに窮した瞬間、これ以上子供の教育に悪い時代は想定しようもない恐ろしい時代を私たちは生きていることを実感させられたのでした。









