同調圧力
2020年9月7日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
新型コロナウィルスの世界的な蔓延以降、それ以前と比べて私はたちは「息苦しさ」を圧倒的に感じながらの生活を余儀なくされています。
この息苦しさの本性が一体何なのか、私はそのことについて毎日のように考え続けてきましたが、その答えに近づくことができそうな鋭い対談本を見つけましたのでご紹介します。
作家で演出家の鴻上尚史氏と「世間」の研究者である大学教授の佐藤直樹氏の「同調圧力」です。
本書でお二人は、日本人の息苦しさの原因を「同調圧力」であると指摘し、それが、もともと日本人の本性であり、今回の新型コロナウィルスの問題によって、その本性が圧倒的に露わにされたとしています。
二人の語りの中から抽出される「同調圧力」について以下に重要なポイントをまとめてみたいと思います。
「同調圧力」とは「みんな同じに」という命令。
そして、それは「世間」が作り出している。
「世間」という日本にしかない単語の存在は、日本には他の国にも当たり前にある「社会」と日本にしかない「世間」の二重構造が存在することの証明である。
「社会」とは、「ばらばらの個人から成り立っていて、個人の結びつきが法律で定められているような人間関係」である。
では、「世間」とは何か、それは「同じ時間を生きる」ことによって出来上がる関係のこと。そして、それは日本人にとって「社会」よりも圧倒的に優先されるべき人間関係となる。
例えば、上司が帰るまで会社から帰れないとか、同僚や取引先との飲み会を重視することとか、無駄な会議が多いこととか、これらの日本的慣習は、「同じ時間を生きる」ことによって出来上がる「世間」によって生み出されていることになります。
そして、それらを行うことが、この「世間」という「社会」よりも深く濃い人間関係の枠内にお互いがいることを確認しあう行為であると言えるかもしれません。
現在のコロナ禍においては、この「世間」という深く濃い人間関係の中の人たちに少しでも「迷惑がかかる」可能性があることを自分自身の行動から排除しようと努力し、その努力をしているからこそ、他の人がその努力をしない場合には、この「世間」から徹底的に排除しようとする力学が働いてしまうということです。
現時点において、「マスクをしない」「県をまたいだ旅行をする」などは、法律違反でも何ともないことですから、個人の結びつきが法律で定められている「社会」においては、批判の対象になる根拠がないため息苦しさを感じる必要性はないのに対して、「世間」ではその根拠は十分であり罰せられる可能性が高いために、息苦しさを感じざるを得ないのです。
本書の中に、この息苦しさの解消法として非常に鋭い指摘がありましたので、その部分を引用します。
「作家の山本七平さんは同調圧力に対しては『水を差す』ことが有効だと書いています。例えば、戦時中のB‐29への『竹やり戦術』を批判した『それはB‐29に届かない』という言葉は、『竹やりで醸成された空気』に『水を差す』ものだという。沸騰しているときには、つまり『世間』の同調圧力が強まっているときには水を差すしかない。ある意味、私たちの本書の出版も『世間』に水を差そうとしているわけです。『社会』と話すこと言葉を見つけようという。」
つまりは、日本人がこの息苦しさから逃れるためには、少しずつでもよいから「世間」に意識的に水を差すことでその接点の割合を小さくしつつ、自分との関係性が圧倒的に小さかった「社会」との接点の割合を高めていくことだというのが著者の結論です。
このことからも、3.11東日本大震災における日本の「同調圧力」は世界の称賛の対象になりましたが、そのことを勘案したとしても、それは決して全面的に肯定していいことではない側面を持つことを知る機会となりました。