和製英語らしくない和製英語 その2
2021年11月3日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「『英語が読める』の9割は誤読」からテーマをいただいて書いていますが、前回に引き続き、第三回目のテーマは、「和製英語」です。
以前にこのブログにて、「なぜカタカナ語が氾濫するのか」というテーマで和製英語をとりあげつつ、コロナ禍において「カタカナ語」の製造ペースが一気に加速し、「クラスター」「パンデミック」「ソーシャルディスタンス」「オーバーシュート」「アラート」などの新作が生み出されたことを書きました。
そして本書では、まさに今、ワクチンの接種率が高まったことで急激に新規感染者数が減少し、「第5波」が一気に「ピークアウト」したタイミングにおいて、この忌み嫌うべき「和製英語」が新たに世の中に広まることになったとの指摘がありました。
以下に該当部分を引用します。
「コロナ禍の感染状況の話でよく耳にした『ピークアウト』についてひとこと。これを『ピークに完全に達する』『ピークから抜け出す』のどちらの意味で使っているかをツイッターのアンケートで尋ねたところ、前者が約3割、後者が7割でした。英語では動詞peakに副詞outがついても、『ピークに達する』を強調するだけなので、正解は『ピークに完全に達する』です。一方、日本語で名詞『ピーク』に『アウト(出る)』がつくと『ピークから抜け出す』に感じられるというのもよく分かります。言ってみれば、これは和製英語が生まれる典型的なプロセスです。意味の紛らわしい『ピークアウト』を使うより、『頭打ち』『下り坂』『峠を越えた』などと言えばいいのに、と思います。」
私としてこの指摘の中で最も有益だと思ったのは、「これは和製英語が生まれる典型的なプロセスです」という部分です。
つまり和製英語が生まれる典型的なプロセスとはこういうことではないでしょうか。
まずは「ピーク」や「アウト」という個別の英単語の持つ様々な意味の中で日本人が最も親近感のある意味を「ピックアップ」して日本語化する。
(ただし、「アウト」に関しては本来は「外に」という意味であるのに、「ゲットアウト」における「ゲット」という動詞「出る」のイメージの方を勝手に「アウト」に込めてしまっている点で完全にアウトなのだが)
そして、すでに日本語化したそれぞれのカタカナ語「ピーク」と「アウト」を組み合わせてあらたなカタカナ日本語「ピークアウト」を作り出す。
すると、完全に元々の英単語からは独立した「和製英語」が出来上がるというわけです。
たしかに、「アウト」はアウトにしても、それぞれの単語のレベルにおいてはセーフのものも少なくはないとは思います。
そして、それらは一度日本語化されたわけですから、日本語と日本語を組み合わせるということであり、日本語のルールとしては許されるという考えもありうるかもしれません。
しかし、それはあまりに英語という元の言語のシステム(生態系)に対して敬意を、いや敬意というと語弊があるのであれば、「厳密さ」と「慎重さ」を失しているように思うのです。
単語はそれが属する言語の生態系の中で躍動するものです。
もちろん、外国人が理解するためには、翻訳する必要ができてくるのは当然なのですが、一つ一つはなんとか翻訳できたとしても、それらを組み合わせる時には、組み合わさったものがその生態系の中でも躍動することができるものなのかどうか確認する「厳密さ」と「慎重さ」が必要です。
どれくらいのレベルで「厳密さ」と「慎重さ」が要求されるのかは本書での著者のその姿勢を見れば、そのべらぼうな高さがよく分かるはずです。
公の場で「和製英語」を多用するということは、まさにその生態系を無視する傲慢な行為であり、その結果は英語をしっかりと学ぼうとする日本人に非常に大きな負担を背負わすことになります。
「和製英語」を使う人もそれを受け入れる人も、一度しっかりと立ち止まってその負担を背負わす責任に向き合わなければならないと思います。