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三流シェフ

2023年1月11日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2023年1月8日)のMr.サンデーでフレンチの巨匠、三國清三氏がオーナーシェフを務める「オテル・ドゥ・ミクニ」の閉店に関する特集を目にしました。

それまで私は、お名前はかすかに存じ上げるくらいで彼についても、彼のお店についてもほとんど知識はありませんでしたが、その特集を見て彼の壮絶な人生とそれに基づく彼の強烈な個性に衝撃を受けました。

そこですかさず先月出版されたばかりの彼の自伝「三流シェフ」を購入して読みました。

彼の人生を一言でいえば、豊臣秀吉の人生を語る「一流の草履取りを世間は草履取りのままにしてはおかない」という言葉をそのまま体現したような人生だということです。

以下、本書を要約する形で彼のこれまでの人生を概観します。

北海道の寒村に非常に貧しい漁師のことして生まれ、中卒で札幌の米屋に住み込み就職し、そこで人生で初めて食べた「ハンバーグ」の味に感動したことで当時北海道で最も格式のあった札幌グランドホテルのレストランへの就職を希望するも、「高卒以上」という採用条件の壁にぶつかります。

そこで当時厨房を仕切っていた責任者に直接直談判することでなんとか社員食堂のパートとして働き始めます。

社員食堂での勤務以外の時間にもホテル厨房での仕事をありつくため、誰もが嫌がる「鍋洗い」を積極的に買って出て、とにかくがむしゃらに働き続け、特例で準社員の待遇での入社を果たします。

その後も持ち前のガムシャラさで腕を磨き、先輩たちを差し置いて重要なポジションを任されるまでになりますが、そこで生来の向こうっ気の強さから衝突した相手の先輩が放った「札幌グランドホテルでいい気になっても上には上がいるんだ。日本一の帝国ホテルではお前なんて、、、」という言葉が心に突き刺さり、日本における「フランス料理の神様」ともいわれた帝国ホテルの村上信夫総料理長のもとへ。

ところが、帝国ホテルでも札幌グランドホテルと同じように正社員としての待遇は得られず、洗い場のパートとして「鍋洗い」を率先してこなしながら、当時存在していたパートの正社員登用制度に望みをかけます。

しかし、時代の変化によりパートの正社員登用制度が廃止となり、正社員になれないことが確定するのですが、退社までの時間で帝国ホテルに何とか爪痕を残すべく、当時18か所あった帝国ホテルの厨房すべての「鍋洗い」を買って出て、ひたすら鍋を磨きます。

その姿を見ていた村上料理長が彼に提案したのが、スイスに赴任する国連全権大使への専属公邸料理人としての同行です。

大使館の専属料理人というポストは、公邸に招待されるVIPたちのもてなしに対して全責任を負う非常に責任の重いものですが、そのような重責を担う経験をしてこなかったにもかかわらず、彼を村上料理長は「私を信用してください」という言葉で大使に推薦します。

ここから彼の料理人としての人生は大きく動き出します。

経験のない彼は、ジュネーブにある一流のフランス料理店に真摯に教えを請い、短期間で大使館の専属料理人として十分な能力を身に着けるのみならず、休日に遠出をして新進気鋭のシェフのもとどん欲に技術を吸収していきます。

もちろん、料理人なら誰もが働きたい一流の厨房へもぐりこむために、彼が「鍋洗い」を活用したのは言うまでもありません。

その後、彼はヨーロッパ中の一流レストランを渡り歩き正真正銘の「一流シェフ」となるも、最終的にフランス人のコピーではなく日本人としてのフランス料理人のキャリアを極めるために日本に戻り、最終的に「オテル・ドゥ・ミクニ」を作ることになります。

この「一流の草履取り」という生き方について三國氏本人が次のように語っています。

「(一流の厨房で)鍋洗いが許されたのはだれもやりたがらない仕事だからだ。苦労する覚悟さえあればどこかに居場所は見つかる。見つけた場所で一所懸命にやれば道は開ける。ほんとに開けるとは限らないけど。自分にそれしかやれることがないなら、楽観的にやり続けるしかないと思っている。(中略)もしも何かやりたいことがあって、どうしてもそれができなかったら、その世界の鍋を探してみることだ。何の保証もできないけど、もしかしたら何かのとっかかりはつかめるかもしれない。」

一つのTV特集と本書を通じて本当に強烈な個性に図らずも出会うことができました。

閉店後にこの強烈な個性を発見した私には永遠に「オテル・ドゥ・ミクニ」を体験することはかないませんが、2年後に仕入れから調理まで自分で手がける少人数制の店を同じ場所につくられるとのことですので、いつかは必ずお邪魔してみたいと思います。

 

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