
予備校盛衰史
2026年3月22日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
前回の「ゲームチェンジの世界史」では、
「本書の著者は、なんと河合塾の世界史講師である神野正史氏で、さすが予備校の講師だけあって、一つ一つの説明が非常に軽妙かつ分かりやすく、面白いほどにページがどんどん進んでいきました。」
と書くほどに、その軽妙かつ分かりやすさが際立っていました。
私も高校三年生の時に、当時まだ世の中に出はじめたばかりだった「東進衛星予備校予備校」という本来東京でしか受けられない最高の予備校講師の授業を衛星放送を利用して、田舎でもそして現役生でも受講することができる仕組みにお世話になりました。
とにかく、すべての授業において、どうしてそのような考え方になるのかという「軽妙かつ分かりやすい」説明が加えられており、「目から鱗」状態で感動しどおしでした。
このすべての疑問点に「軽妙かつ分かりやすい」説明で答える感覚が、現在私が主宰する講座「英文法の虎ノ穴」にも大きな影響を与えていることは間違いありません。
そこで、当時の私のような田舎の学生をも感動に包んでしまう別格の授業を提供する教育機関という存在自体に興味を覚え、その存在を概観できる本はないかと探して見つけたのが「予備校盛衰史」です。
本書より以下に、「軽妙かつ分かりやすい」説明の「目から鱗」の授業が、なぜ「高校」にできなくて「予備校」にできるのか、この根本的な疑問に迫っている部分を要約引用します。
そもそも旧制高校(大学予備門)や専門学校(早稲田など)を受験するための教育機関として誕生して150年の歴史が予備校にはあります。
当時、旧制中学卒業で身についた学力は大学予備門入学に求められる学力には遠く及ばず、三年近くは二松学舎(漢学)や共立学校(英語)などの「私塾」としての予備校に通って浪人するのが一般的でした。(英語・数学・漢学)の三科目が入試に設定されていましたが、特に漢学と英語の二科目の学力不足が著しく、それは知識を補うというようなものではなく、全く一から学ぶことでなければ得られない知識のインプットが求められたという意味で、「知塾」とはいえど、中学(制度としての学校教育)とは全く異なるハイレベルな教育が前提の特殊な機関であったと言えます。
その後、旧制中学の教育レベルが上がったことで浪人の必要が薄れたことから、それら「私塾」の存在意義が薄れ、制度としての中学校に変身(例えば、共立学校は開成尋常中学、現在の開成高校となる)する例を除き、ほとんどが一度姿を消しています。
ただ、1900年代に入って、旧制高校受験熱が高まったことで、旧制高校に入学できないものが増えた結果、再び予備校の需要が高まったことから各大学や専門学校が自からの系列で「予備校」を設けることになります。
そして1918年に、そのうちの一つである明治大学が設立した明治高等予備校の講師をしていた山崎寿春氏が独立をして駿台予備校を設立したことが、現代に続く予備校として最初のものとなり、かつ現時点においても「三大予備校」の筆頭として君臨(しかも、本質を貫くフロントランナーとして*こちらの記事を参照)しています。
ここまで見て来て、なぜ「高校」にできなくて「予備校」に「軽妙かつ分かりやすい」説明・「目から鱗」の授業ができるのかという疑問に答えることができるような気がします。
その答えは、予備校という存在が150年前の誕生の時から、ハイレベルな教育の提供が求められる前提にありつつ、学校教育という制度に守られることなく常に在野の存在として自らの実力(本質的な知識の提供)だけを頼りにその存在を維持しなければならない厳しい環境に一貫して置かれてきたから、ということに尽きるのではないでしょうか。
その点で言えば、我々ランゲッジ・ヴィレッジも同じように学校教育が提供しきれない「英語環境」という本質的なサービスを株式会社という常に競争にさらされる組織体として提供し続けてきたという意味では、似たようなところがあるのではないかと密かにシンパシーを感じているところではあります。









