代表ブログ

セルフレジと英語の教科書の意外な関係

2022年8月28日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

ここ最近、立て続けに非常に気になる二つのニュースを目にしました。

それは、記事1「セルフレジ導入で人手不足が逆に加速」と記事2「小中学校でのデジタル教科書導入決定」です。

この二つの記事に一体どんな関係がるのかほとんどの方が「?」だと思います。

まずは記事1を要約します。

「『従業員の人員不足により、しばらくの間セルフレジは封鎖いたします』――とあるスーパーに張り出された紙がツイッターに投稿され、話題を呼んでいる。本来、人手不足を解消するために導入されたであろうセルフレジが、かえって人材不足を招いている。というのも、『その店には計6台のセルフレジがあるのですが、“バーコードを読み取らない”“お金が入らない”といった、客からのクレームに2人の店員さんが常に対応していました。また、最近になって新たに2名が追加され、レジへの入り口側に立って、客を誘導しています。結局、計4人でセルフレジ周りを見ているんです。人件費も余計にかかっているし、導入の意味があったのかと思ってしまいますね。』や『高齢者が多く住んでいる街の店舗で導入したところ、お客さんは操作方法を覚えるのが面倒なのか、有人レジに長い列を作ってしまうんです。場所によっては、せっかく導入したセルフレジの列だけがガラガラ状態に。導入に慎重な店舗が多いのも理解できます。』といった現場の声が聞こえてくるのだ。」

続いて記事にの要約です。

「電子端末で使うデジタル教科書が2024年度から順次、小中学校の英語と算数・数学で導入される。中央教育審議会の作業部会が25日、文部科学省が示した方針案を大筋で了承した。当面は紙の教科書との併用だが、海外から遅れていた学校教育のデジタルトランスフォーメーション(DX)がようやく本格化する。デジタル機能を最大限生かすためには法改正を含めた環境整備が課題になる。」

この二つの記事のトーンは全く正反対で、前者は小売りの現場ではデジタル化がすでに導入されたことで、かえって人材のコストと混乱が生じるという本末転倒な事態となり、とんでもない話だという論調、後者は教育の現場ではデジタル化がようやく本格化するきっかけをつかんだ、良かった良かったという論調です。

しかし、私は論調のまったく異なるこの二つ記事はどちらも実は日本において他の先進国と比べてデジタル化がうまく進んでいない状況をよく表していると思うのです。

以下、ご説明します。

ここのところ、私はこのブログにてDX(デジタルトランスフォーメーション)に関する書籍を紹介する記事をいくつか書きましたが、その中で非常に印象に残った指摘があります。

それは「DXにおける最も愚かな対応は、デジタル化対応後に従来のアナログ方式を並走させること」という指摘でした。(すみません、どの書籍のどなたの指摘だったから忘れてしまいましたが、、、)

というのも、デジタル化というのは、圧倒的なコスト削減と利便性の向上の両方を一度に実現するための手段であるため、その後もアナログを並走させることで社会を圧倒的なコスト削減と利便性の向上の実感から遠ざけてしまい、デジタル化による社会の革命的移行を著しく遅延させてしまうことになるからだということでした。

そのことから考えると、一見すると「デジタル化が本格化しそうで良かった良かった」という論調の後者の記事の中にもしっかりと「当面は紙の教科書との併用だ」という記述があり、学校現場でも実は前者のセルフレジのような状況になる可能性を垣間見せているような気がします。

もちろん、デジタル弱者への対応は不可欠だろうという意見があることを承知しています。

しかし、DXで何を成し遂げたいのかというDXのそもそもの目的を私たちは確認しなければなりません。

少子高齢化が世界最速で進む日本はもはやアナログ対応というコストのかかる仕組みで政治も経済も動かすことができない、だからこそデジタル化から遠いと思われている高齢者も含めたすべての国民にDXの恩恵を実感させた上で、確実に移行を果たす必要があるのです。

お年寄りが使えないセルフレジの閉鎖や小中学校の教師のデジタル機器への不慣れのための紙の併用など、まさに国民が「圧倒的なコスト削減と利便性の向上」を実感できない状態でDXを進めているということの明確な証明だと思えるのです。

その意味が最もよく分かるのが、アナログが残るのは「結婚」と「離婚」の手続きだけというほぼ完全なデジタル政府を実現した「エストニア」の事例でしょう。

この国では、足腰の弱く移動に苦労する高齢者こそがこのデジタル化の恩恵を十分に受けていると言えます。

要は、デジタル化に反対する人たちにどうしたらこの恩恵を理解させるかということであり、それが十分に認識しない段階でのデジタル化は成功しないということです。

「マイナンバーカード」一つとっても、全くデジタル化の意味も恩恵を理解することができない状態の日本の状況を見ていると、また、タブレット端末が導入されて以降、紙の教科書と併せて荷物が依然と比べて圧倒的に重くなって、毎日亀仙人のじっちゃんの亀の甲羅で修業か?と突っ込みたくなるような子供たちを見ていると、そのことを思わざるを得ません。