「楽天・ユニクロ社長に「英語公用語化」反対の手紙を送った理由」
2015年4月8日 CATEGORY - 日本人と英語
先日、「英語支配の構造」という本を紹介しましたが、この本の著者である「津田幸男」氏の名前で検索をしましたら次のような記事がヒットしました。2013年に書かれたこの記事のタイトルは「楽天・ユニクロ社長に「英語公用語化」反対の手紙を送った理由」です。
楽天やユニクロの「英語公用語化」の問題に関しては、私のブログではもうすでに何度も登場しています。そして、私の中ではこの議論は決着をしていると思っています。
例えば、「英語公用語化の何が問題か」の中でも書きましたが、楽天の三木谷社長やユニクロの柳井社長は日本人をアメリカ化しようなどとはこれっぽっちも思っていません。ただ、日本の商品を日本国内でだけ扱っていたのでは、彼らの会社が立ち行かないからビジネス上の戦略として「英語公用語化」を図っているだけです。
また、そのために必要な時間やコストもしっかりと計算をしており、決してヒステリックに場当たり的に行っているわけではないことは明らかです。そして、彼らは全ての社員が英語を使えることが当たり前になることを求めているだけであって、すべての社員が英語で教育を受けたり、思考の基礎までも英語にするべきだとは言っていません。
インド人はインドの文化の中で培われた思考の基礎でものを考え、日本人は日本の文化の中で培われた思考の基礎でものを考え、その結果を英語で発信することができるようにしているだけです。どこまで行っても「たかが英語」、つまり「道具」として考えているだけです。
このことは、グローバリズムであって、アメリカ二ズムではありません。そうでなければ、どんなに頑張ったって、日本の会社である楽天やユニクロはアメリカの企業には絶対にかなうはずがなにのですから。
楽天やユニクロが英語文化に基礎を置く企業にかなうことができるとすれば、それは日本人の考えや世界中の国の人々の考えを、融合させる本当の意味でのグローバル化に成功した場合ではないでしょうか。その融合の結果を世界に発信するために英語を「道具」として使えばいいだけなのです。
この伝えるということだけは、日本語でもヒンズー語でもなく、英語を使うことが最も効率的であるというだけなのです。
「英語を使ったら負けだ」とする著者の主張は、このままでは「強いアメリカ・イギリス」に「日本の固有の文化」がやられてしまうという考えで、逆に「日本文化は英語文化に比べて弱いもの」だということを言っていることにもなります。そして、そのことは、「弱い日本文化の下で生まれて損した、英語文化の下で育った方が得だった」ということにもつながる考えでもあるように思います。
そうではなく、日本文化の下で育って、マジョリティーである英語文化ではない考え方をすることができる私たち日本人は資本主義におけるパワーである「差別化」の根源を有していると言える考えられないでしょうか。その「差別化」された価値をマジョリティーである英語文化の人々に伝えることで飯を食っていけばいいのです。
その時に必要な「道具」が英語であるというだけのことです。
著者の主張のように「道具」を使うと「道具」にやられるという考えはあまりに了見が狭い考えであると思います。