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「舞台裏」を描くという視点

2023年1月1日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

このブログでは、2016年に「社会のゆとりは国家の格」という記事で「シン・ゴジラ」という子供向けの怪獣ストーリーの「舞台裏」を政治に絡ませて描く形の映画についてご紹介しました。

それから6年後の昨年2022年2月4日に「大怪獣のあとしまつ」、そして5月13日に「シン・ウルトラマン」と立て続けに同じような視点で描かれた映画が公開されました。

この目まぐるしい現代社会における6年という時間のインパクトは相当なもので、私たちのライフスタイルの中にもかなりの変化を実感できるものでした。

というのも、2016年公開の「シン・ゴジラ」は映画館で観ましたが、インターネットの映画配信サイトがずっと当たり前となった2022年公開の二作は劇場公開からそれ程経たずに自宅で見ることができたのです。

前回のブログにおいて私は、「シン・ゴジラ」という子供向け娯楽作品をモチーフにした大人向けの政治映画が作られるようになった背景には「福島第一原発事故を含む東日本大震災」の経験があるのではないかという推察をしました。

昨年の「大怪獣のあとしまつ」と「シン・ウルトラマン」に関していえば、「新型コロナウィルス」のパンデミックの経験があることは間違いないでしょう。

そのような考察が正しいかどうかは別として、この三作に共通するのは、現在の政治体制がこれら未曾有の危機に対して完全に「機能不全」に陥ってしまうという点です。

いや「機能不全」どころか、むしろその存在自体が「マイナス」になるという描き方をされています。

ところが、そのような政治的「機能不全」に陥ったにもかかわらず、「東日本大震災」や「コロナ禍」といった現実の災厄ともにこの三作において描かれた空想の災厄においても、日本や世界、そして地球全体が最悪の状況を迎えることは避けられました。

その原動力となったのは、機能不全に陥る国・国際社会の下、物事の本質をとらえようと努力し、自らの危険も顧みずその未曾有の危機に対してひるまず戦う姿勢を崩さなかった現場の人たちでした。

その多くは、「政治家、官僚システムから疎外され除外された異端者」です。

2022年の暮れに自宅で映画を楽しみながらそんな共通点を発見したわけですが、現実の世界ではコロナ禍が完全におさまらない中で「ウクライナ戦争」という現実の災厄が終わりの見えないトンネルに入ってしまっています。

しかも、少なくとも現時点では、この「ウクライナ戦争」を背景として大人向けの政治映画を作ろうとしても、「未曾有の危機に対してひるまず戦う姿勢を崩さなかった現場の人たち」の努力がどのような形で実るのか、まだ見通すことができていないというのが残念でなりません。