日本人と英語

「赤ちゃんのように英語を習得する」の罠

2015年8月5日 CATEGORY - 日本人と英語

赤ちゃんのように英語

 

 

 

 

 

 

以前に書籍紹介ブログにおいて「仕事で英語が使える日本人を育てるために必要なこと」という本を紹介しましたが、その本の中で著者の英語教育のアプローチの方法に関して、私としては賛成できない部分があると指摘しましたが、以下にその部分を抜き出します。

「日本語の正しい使い方は読み書きを含めて、学校教育によって教授される機会があります。日本語は学齢期までに、聞くこと、話すことは日常の生活に不自由ない程度にできるようになっていて、その上での読み、書きの教育です。英語の場合も日本語と同じように手順を踏んで教育されるのが教育成功の鍵だと思います。」

一見すると、いたってもっともなこの考え方には、大きな問題があります。

それは、母国語と外国語という対象自体が異なるのに、全く同じ土俵で議論をしてしまっているということです。

それでは、なぜ同じ土俵で議論してはいけないのか。

母語を習得するときには言語が何もインストールされていない中で行われるのに対し、外国語の習得はすでに母国語がインストールされてしまっている中で行われているため、絶対的にその前提条件が異なっているからです。

つまり、「(英語圏の)赤ちゃんが英語を習得するように」外国語としての英語を学ぼうとしてもできるわけがないということなのです。 (英語圏の)赤ちゃんが、のどが渇いたときに「water」という単語を何とかして吸収したいという欲求と、すでに「水」という日本語を習得してしまっている日本人の大人が、外国語としての「water」という単語を吸収したいという欲求の「切羽詰まった」感は、比べようもないということです。

前者では、文字通り「命」がかかっているのです。そして、その命がけの言葉探しは、その赤ちゃんがこれから出会う全ての単語に対して行われることになるのです。

このように、命がけの代償として得られる圧倒的な「吸収力」を享受できない外国語として英語を学ぶ日本人の大人(中学生以上)は、英語の学習において、母国語を使用しての体系的学習、すなわち、文法を活用したり、パターンを意識したりできる力をテコとして利用することでその不利を克服するしかありません。

というか、それが最も近道だと認識する必要があります。

もちろん、一部の例外はあるとは思います。しかし、少なくとも学校教育という大きなくくりの中では、それが最も効率の良いことだと納得する必要があります。そして、その上で、今までの極端にコミュニケーションから離れた英語教育のバランスをとってあげるか、そういう考え方が必要だと思うのです。

その方向性の中で、いかに著者の「学校英語教育と連携し、相乗効果を出すような教育ができたならどんなに『話す』英語教育の成果が上がるだろうと思い続けてきた。」という思いを実現するのか、これを真剣に考える必要があると思います。