「仮定法」という名前は間違い?
2021年2月23日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「英語の歴史から考える英文法の『なぜ』」からテーマをいただいて書いていますが、第四回目の今回のテーマは「仮定法」です。
仮定法の「法(mood)」とは、「その発話がどのようなものの見方・とらえ方からなされているのかという文法的な認識を表現する方法」です。
つまり、話者の物事のとらえ方、そしてそれについての心持(気持ち)の表現方法で以下の通り三種類存在しています。
①直説法:話者が事柄を事実としてとらえて発話しているとの認識(気持ち)を示す文法形式
②仮定法:話者が事柄を事実としてではなく想念、すなわち心の中で思ったこととして発話しているとの認識(気持ち)を示す文法形式
③命令法:話者が「命令・依頼・提案」すなわちことを起こす意図をもって発話しているとの認識(気持ち)を示す文法形式
また、「法助動詞」の「法」もこの「法(mood)」を指しており、これも、will(~だろうと思う) can (~できると思う)may (~してもよいと思う)must(~しなければならないと思う) should(~すべきと思う)というように、現実に起きている話ではなく、心の中で思っている(気持ち)を示す文法形式です。
これらのうち、①直説法と②命令法および「法助動詞」については比較的抵抗なく理解できるのですが、②仮定法の説明がなかなかしっくりこないため、「仮定法」という文法項目の存在はよく知っていても、それを体感的な理解につなげるまでには至らないという声をよく聞きます。
そこで本書よりこの仮定法にかかわる説明を引用して、その本質に迫ってみたいと思います。
「『仮定法』というのは紛らわしい言い方です。『仮定』という言葉から『もしも』という仮定の意味ととらえられかねません。確かに仮定法はif節によく現れますが、それは想念であるからであって、仮定であるからではありません。実際に、直説法の英語indicativeを『叙実法』、仮定法の英語subjunctiveを『叙想法』と呼ぶことも提唱されています。『叙想法』という呼び方は『心の中で思う想念を表す法』という意味で優れた命名です。」
つまり、仮定は想念の概念のほんの一部にすぎないのだから、仮定法という名前を付けてしまうと、その名前ではとらえきれないケースが出てきてしまうということです。
以下の例で確認してみます。
まず、
If the turtle passes here, I will get up and run. (もし、亀がここを通れば、起きて走ろう。)
If I had enough money, I would pay you. (もし私に十分なお金があれば、お支払いするのですが。)
これらは、仮定法現在と仮定法過去という想念した事柄が実際に起こるかどうかわからない段階で仮定しているのか、それともそれが事実でないことが判明している段階で仮定しているのかの違いがありますが、どちらも「仮定」を「想念」しているわけです。
一方で、
I suggest to her that she consult me. (私に相談するように彼女に伝える。)
I hope he be in love. (彼が恋をしてほしいな。)
これらは、どちらも自分の頭の中で何らかの事柄をsuggestしたりhopeしたりしている、すなわち想念(思い描いて)しているのであって、決して仮定しているわけではありません。それなのに、このようなケースにも「仮定法」という名前を付けるのはよろしくないのではないかということです。
そこで、これを機会に私が主宰する「文法講座」では「仮定法」の代わりに敢えて「想念法」と呼ぶようにします。
この命名の失敗があるからこそ、If を使った仮定法以外の仮定法(本来は叙想法と呼ぶべき?)についての理解を私たち日本人の英語学習者が深められない大きな原因になっているのではないかと感じたからです。
それとともに、上記に見られるように、she consult meやhe be in loveのように本来の仮定法現在を使用することが少なくなり、If the turtle passes hereのように直説法現在の形を用いるようになってしまっていることからも、この「仮定法」が我々の意識から遠ざかりつつあることが良く分かります。