「仮定法未来」という文法区分について
2021年11月11日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「日本人なら必ず誤訳する英文」からテーマをいただいて書いていますが、第五回目のテーマは「仮定法未来」です。
「仮定法」についてはこれまでこのブログにおいて何度か説明してきましたが、ここでちょっとだけおさらいします。
仮定法とは「現実とは反することを仮定」する表現で、直説法(現実だと思って発言する表現:すなわち通常の表現)の時制を一つ新しい方にずらして表現するものです。
つまり、「仮定法過去完了」なら「現実とは反する過去のことを仮定」、「仮定法過去」なら「現実とは反する現在のことを仮定」です。
そして「仮定法現在」というのは「現実とは反する未来のことを仮定」となりそうなのですが、そもそも未来はまだ現実に起こっていないので現実に反すると決まったわけではないので、また十分に実現する可能性のある未来のことを仮定する、すなわち「条件」を表す表現として使われます。
If it rains tomorrow, I will not go to school.
のような表現です。
このように考えると「仮定法未来」などというものは存在しないように思えますが、本書では「仮定法未来」を以下のように紹介しています。
「(Even) if the sun should rise in the west, I would never change my mind.
もしくは
Supposed the sun were to rise in the west, I would never change my mind.
(たとえ太陽が西から登っても、私の決心は変わらない。)
If の代わりにprovidedやsupposedが用いられ、あたかも接続詞であるかのような働きをすることがあります。また、文脈から言って、この例文はEven ifの意味に解すべきケースです。
このように、条件節にshould またはwere toが用いられる形を仮定法未来と呼ぶこともあり、普通『仮に』『万が一』などと訳します。
主節に使うのはwouldでもwillでも、どちらでも構いません。仮定法と直説法の境目にある表現です。」
つまりは、「仮定法現在」は未来において「起こるかもしれないし、起こらないかもしれないこと」を仮定しているのに対し、「仮定法未来」は未来において「起こりそうもないこと」を述べる場合の表現だと著者は言っています。
ただ、著者に対して反旗を翻すつもりはないのですが、このことをもって「仮定法未来」という分類に当てはめることへの異論が大勢を占めているということも理解しておくべきかと思います。
というのも、厳密な文法的理解では、明らかにこれは「仮定法過去」とすべきだからです。
「were to」は be to の過去であり、「should」は shall(予言的shallと言われる)の過去であり、その過去の時点で「予言」しているという意味で「未来」という意味合いを含むのであれって、その時制自体は「過去」以外の何物でもないのです。
その証拠に私が最も信頼する文法書である「ロイヤル英文法」にも「仮定法未来」という区分はありません。