何故、学校英語は会話重視に傾くのか
2015年12月27日 CATEGORY - 日本人と英語
これまで、何回にもわたって「英語の害毒」について書いてきましたが、今回が最終とします。
最終回の今回は、あまりにも著者の想像力というか妄想力が強すぎる内容なので、半分冗談の与太話として紹介します。(笑)
タイトルの通り、「何故、学校英語は会話重視に傾くのか」という疑問に対する答えとして、著者は第一次的には、経済界の要請であると指摘されています。 つまり、「企業が日本国内だけではやっていけない時代がすぐそこに来ているため、グローバル対応が至上命題となっている。そのため、社員の英語力の強化は必至である。しかしながら、世界と競争するためには、コストをあげることはできないので、学校教育において「使える英語」を身に着けさせるよう要請をしている」ということです。
これについては、一見するともっともな「要請」に聞こえるかもしれませんが、私は一貫して、これは的が外れた考えだと主張してきています。 私は、このことを「九官鳥英語」の推進策だとして批判しています。
「九官鳥英語」とは、つまり、経済界がこの要請をすればするほど、学校教育では「文法」や「読解」をおろそかにせざるを得ず、簡単なやり取りを中心とする、パターン学習に終始してしまうということです。 「九官鳥英語」英語教育は、外国人に臆せずに挨拶程度はできる人間を多く育てますが、基礎である「文法」がおろそかになっているため、そこからの上達がいつになっても見込めず、いつまでたっても高度なレベルには行きつかないという問題が生じてしまうのです。
おそらく、私は日本企業の多くは、こうなることを望んで、「要請」しているわけではないと思います。しかし、明確な意思をもって、日本人の多くがこのような状態になることを望んでいる人たちがいるということを著者は指摘しています。 「日本人には英語ができるようになってもらわないと困る。かといって、できすぎても困る。一番いいのは、日常会話ができる程度だ。英語を使って高度な内容を表現したり理解したりはできなくていい。というよりむしろできない方がいい。そういうことはアメリカ人がやるからー。アメリカ人の手足となって働くことができる程度の英語力を身に着けること。これがアメリカが日本人に求める理想の英語力。つまり、アメリカが日本に求めるのは、次の二つ。
(1)日本を外国から守っている日本語の障壁を低くすること。
(2)英語の会話言語能力を持つこと。ただし、学習言語能力はいらない。
つまり、アメリカ人をはじめとする欧米人は日本語によって閉鎖されていた日本市場を英語によって開放し、日本人を生かさず殺さず、アメリカ人の都合のよいように利用しつくそうという意図だということです。
そして、ここからが著者の想像力の凄まじいところですが(笑)、日本企業のこのような動きは、欧米人の影響によって引き起こされているというのです。それは、日本の大企業の外国人持ち株比率の推移から理解できるのだそうです。 実際の数字として、経団連役員企業の平均外国人持ち株比率は、1980年で2.2%、1990年で8.3%だったものが、2000年21.4%、2014年には30%超となっています。 このような数字を、日本の英語教育の方向性に間接的にせよ影響を及ぼしている証拠だとは、私は思いません。 しかし、上記のような欧米の意図が明確に存在しているかどうかは別として、グローバル化という現象には、そのような性格が元来組み込まれているということを理解した上で、この流れを捉えていく必要はあるように思いました。