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東京五輪のロゴデザインの何が問題か

2015年9月11日 CATEGORY - 代表ブログ

東京五輪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。

東京五輪について、競技場に続いてエンブレムの問題まで上がってしまって、なんだかもう大騒ぎですね。そんな騒ぎの中で、今週火曜日のヤフートップに非常に冷静で分かりやすい記事がアップされていました。

よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?」という記事です。

以下にこの記事が主張する「今回のロゴのデザインの独自性がセーフだと考えられる」理由が分かるように修正抜粋させていただきます。(コピペの断りを入れましたよ:笑)

「まず視覚的な要素を考えた場合。どちらもTを内包していたり、同心円をベースにした処理をしているため視覚的には類似部分が多々散見されます。特に一般層から見た場合に「特徴的な類似」と判断されるのは、右下のLのような部分でしょう。一方で全体シルエットは、リエージュロゴは円形、五輪ロゴは四角形であり類似はしていません。続いて、ロゴの機能、視認性とアイデンティティで考えた場合はどうでしょう。視覚要素レベルでは類似要素があるものの、相対としてのシルエットは正方形と円形で異なっています。また、遠目みた場合、縮小した場合、ボカした場合などでも、それぞれは容易に認識できます。このため、ロゴの機能としては、両者は差別化されていると判断してよいでしょう。次にコンセプトで考えた場合はどうでしょう。リエージュロゴは合字をベースにしており、コアコンセプトは「Tの右半分を反転してLを生み出した部分」です。一方で、五輪ロゴは「モジュールによる汎用性」がコアコンセプトであり、両者は全く違うと判断される。しかも、最後に、法律の面からいっても、問題はなさそうです。というのも、リエージュは商標登録をしていないからです。ロゴの独自性を主張するならば本来は押さえておかなければいけないものです。世界中の全ロゴに対する独自性は誰にも保証できないため、通常は商標のパスをもってビジネス上の可否や、法律的な判断をすることになります。」

つまり、素人である我々は、「視覚的要素」のみを判断材料にしがちなので、「似ている」という判断をしがちですが、専門家としては、「視覚的要素」「コンセプト的要素」そして「法律的要素」から総合的に判断するので「似ていない」と判断されるということです。

ですが、これだけ重要なロゴ作成なのですから、通常以上の水準で「似ていない」ものを作らなければならなかったのではないか、少しでも似ているようなものがあれば、それに対するケアは必要だったのではないかという意見もあると思います。それについては、以下のような指摘がありました。

「シンプルに、この世にある全てのロゴが多すぎるのです。世界に登録済みの商標はヘタをすると億単位です。なのでリエージュのロゴのように、未登録のロゴを事前に考慮するのは、たまたま担当者がその劇場ロゴを知っていない限りは不可能なわけです。一般的にロゴの類似性調査を真面目に世界規模で行うと、ロゴの作成には数千万から億単位のお金がかかると言われます。なぜ、これほどのお金がかかるかというと、商標調査だけでなく、各国の弁護士などと長期間の顧問契約をおこない意見をすり合わせる必要があるためです。これを全てのベルヌ条約などの加盟国で行います。国や文化によってはタブーとなるマークや模様も存在し、調整は非常にデリケートとなります。そんなこんなでロゴ作成は金食い虫で、アクセンチュアのロゴとか100億ぐらいかかってると言われたりします。商標チェックにパスするロゴの作成と調査は、軽々しくできるものではないわけです。」

アクセンチュア

 

 

 

 

 

こうなってくると、ある程度まで調べて、これが「イケる」と判断したものだったら、覚悟を決めて行くという決断が必要となってくるのだと思います。しかしながら、今回この問題の当事者たちに最後までその覚悟を貫き通せなかった理由というのが次の指摘です。

「普通に考えれば五輪ロゴの圧勝なのですが、問題をややこしくしているのはトートバッグや空港写真の盗用問題。この盗用問題が「自力で考えた」という部分を破壊した場合には、著作権違反になっちゃうのかなと思います。」

つまり、今回の問題の本質は、五輪ロゴのデザインそのものにあるのではなく、デザイナー自身の「「逆」狼少年」効果にあるということです。ですから、物事の成否は何事も「総合力」だということではないでしょうか。

そして、その「総合力」の土台にあるものは「誠実さ」だということなのだと思います。