全く同じ議論をゼロから繰り返す日本人
2023年3月12日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「英語と日本人」からテーマをいただいて書きていますが、第四回目のテーマは「小学校英語廃止論」です。
このブログでは今まで何度も「小学校英語」に対する反対論を述べてきました。
本書ではこのテーマが近年になって取りざたされるようになった「新しい問題」ではなく、実は明治時代から現代まで無限ループのように繰り返されてきた「古い問題」であることが明らかにされています。
以下に、時代ごとの「小学校英語」に関係する出来事及び議論を整理します。
◆ 1872年の日本の学校制度を最初に定めた「学制」にはすでに小学校で外国語を教えてもよいと書かれていた。しかし、当時は教師も教材も不足しており、外国語を教える小学校はほとんどなかった。
◆ 1884年「小学校教則綱領」が改正され、「英語の初歩を加えるときは読方、会話、習字、作文等を授べし」と定められた。小学校への英語の導入は欧化政策の一環だった。
◆ 1886年高等小学校制度が発足。これは4年制の尋常小学校(義務教育)を終了した希望者が入学する現在の小学校5年から中学二年に相当する。この中で英語は選択科目だったが、発足当初はほとんどの学校が英語を週2~3時間教えていた。言ってみれば英語ブームだ。その背景には当時不平等条約の改正が予想され、それが実現した暁には外国人の治外法権がなくなり、彼らが居留地を出て自由に移動ができるようになることで交際の必要性が高まることが期待されていたことがある。
◆ 1887年にその予想が外れ、条約改正が挫折すると、欧化政策から一転して国粋主義が台頭し、世論は英語教育に反対するようになる。その反対論は根強く、賛成論者との大きな論争が1891年ころをピークに明治末期まで続く。
両者の議論は以下の通り。
【賛成論者の意見】
①外国人と意思疎通のため ②進学のため ③児童は模倣・記憶能力が高いから ④英語は国際語だから
当時は中学入試に英語を課すことが多く、1887年に岡山県尋常中学に入学したある生徒は「小学校を卒業したものでも岡山の予備校に入り1~2年英語を学ばねば入学できぬという有様であった」と証言している。
【反対論者の意見】
①児童の思考力等の不足・過重負担のため ②教師の能力不足のため ③児童の英語学力・運用力不足のため
英語教育界の最高指導者だった岡倉由三郎は「理論上より見ても、また実際の結果より見ても小学校に英語科を置くことの無益なる次第が解かる」と述べ、「小学校英語は徒労の事業」とまで言い切った。
◆ 1911年に小学校令が改正され、高等小学校の英語科は教科としての地位を失い、どうしても英語を教えたければ、商業科の中で教えてもよいとされるにとどまった。
そして時は流れ、、、(例外的に第二次世界大戦後の沖縄におけるアメリカ軍政下初等学校(小学校)で英語が必修科目とされ、1954年度まで続いた。その教育効果の検証についてだが、小学校から英語を習った沖縄県民の英語力が他県民より高まったというデータは存在していない。)
◆ 2020年度から「外国語(実質的には英語)」が正式教科となった。こちらについては過去の記事(非常に多くの記事がありますので、ご興味がある方はサイト内検索窓で「小学校英語」にて検索してください。)を参照ください。
これらの記事に書いた平成から令和にかけての「小学校英語」に関する議論をすべて読んでいただけると、驚くべき事実を発見することができます。
それは、その議論が 1887年~1911年までに行われた議論とほぼ同一の内容に終始しているという事実です。
このような日本人の議論の特性について政治学者で思想家の丸山眞男は1961年の時点で次のように喝破しています。
「ずっと後になって、何らかのきっかけで実質的に同じテーマについて論争が始まると、前の論争の到達点から出発しないで、すべてはそのたびごとにイロハから始まる。」
これは本当にもったいない特性だと思います。