日本人と英語

英語の日本文学への具体的な影響

2023年3月8日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語と日本人」からテーマをいただいて書きていますが、第三回目のテーマは「英語と日本語の文体融合」です。

第一回では、多くの明治時期の文豪が「英語教師」を本業、もしくは副業としており、日本の近代文学に英語という言語が大きな影響を及ぼしていることが容易に想像できるようになったと書きましたが、今回はその「影響」を具体的な事例としてみていきます。

以下、島崎藤村の事例について該当部分を引用します。

「藤村は作品の文体を斬新で豊かなものにするために、英語の表現を意識的に移植した。例えば、『家(1910年)』では英語のfind oneselfにあたる『お種は自分一人を部屋の内に見出した』といった表現を使っている。この作品を英訳したWilliam Naffは、この部分を『Otane found herself all alone again.』と訳している。藤村の原文はそのまま英文に直訳できたのである。」

もう一つ藤村の事例です。

「日本語にはない『無生物主語』も多用されている。例えば『春(1908年)』には『追想は岸本を楽しい高輪の学校時代へ連れて行った』、『絶望は彼を不思議な決心に導いた』といった英語的な文体が登場する。」

次に、藤村以外の事例を引用します。

「無生物主語の使用は藤村にとどまらない。国木田独歩は『武蔵野(1898年)』で『その路が君を妙なところへ導く』などの表現を使っている。こうした清新な文体が日本語表現を豊かにし、日本人の間に浸透する。昭和に入ると、藤森成吉の戯曲『何が彼女をそうさせたか(1927年)』が大評判となり、1930年には映画化されて『キネマ旬報』の優秀映画第一位に輝いた。英訳タイトルは『What made her do it ?』で、英訳できた。」

J-POPを代表するミスチルの歌なんて、英語の文体の影響なくしてはとても成り立たないことに気づかされている自分を見出しました。(I found myself realizing that it would not have been possible without the influence of the style of English language.)

・軽はずみな言葉が時に人を傷つけた(Mr.Children「inocent world」)

・なんてことのない作業がこの世界を回りまわってどこの誰かも知らない人の笑い声を作っていく(Mr.Children「彩り」)

・時代は混乱し続けその代償を探す(Mr.Children「終わりなき旅」)

・矛盾しあった幾つもの事が正しさを主張しているよ(Mr.Children「Not found」)

(笑)

 

 

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