和製英語は得か損か
2015年8月23日 CATEGORY - 日本人と英語
以前に書籍紹介ブログにおいて「『日本人英語』のすすめ」という本を紹介した中で、非常に印象的な視点が著者の考えにはあると指摘しました。それは、一般的には批判の対象となる「ウラ英語(日本人英語)」をプラスに評価しようという点です。
つまり、著者は和製英語を持っている日本人は「得だ」という考えを持っているということになります。
著者のこの視点は、本人がまだ日本に来たばかりのころ英会話学校の講師として働いたことで、日本における英会話学校というビジネスにおいていわゆるネイティブ講師が、日本人英語を否定し、いわゆる英米のスタンダード英語を基準とした間違い探しに終始していたという反省に基づいていると言います。
確かにその結果、日本人は自分たちの「日本人英語」を恥じ、いちいち指摘される「基準との乖離」を意識しすぎるという「精神的バリア」によって、いつまでたっても英語ができるようにならずに終わるという現実があります。
もちろん、この指摘にはもっともな部分がありますが、しかし、その問題を「日本人英語(和製英語)」を擁護するという姿勢につなげることには、大きな論理の飛躍があると私は思います。
私の和製英語に関する考えは以前に当ブログで 記事 としてまとめてあります。
そして、私は基本的には和製英語をすでに身に着けてしまっていることは、日本人にとって「損だ」という考えを持っています。その理由は、以前のブログで以下のように説明しています。
「勝手に日本人が作ってしまった和製英語でも、それが一つのことを意味するものであれば、その単語を「理解されない」だけで済みます。しかし、それらは和製英語の意味以外に、本物の英語も存在することで、別の意味を持っているのです。つまり、「理解されない」だけではなく、まったく違うことを意味して「誤解」を生じさせてしまうという二重の問題を抱えているのです。」
このことを強く意識したのは、私が中国語を学習してからです。中国語には、日本語のカタカナのような、外来語の音をそのまま自国語に落とし込むという術はありません。そのため、全て漢字を用いて表現します。
ですから、日本語のように何でもかんでもそのまま導入しようという姿勢は見られません。例えば、テレビは「電視」、ビデオは「録像機」、バスは「公共汽車」といった具合で、今まで母国に存在していなかったものの名前も、何とか意味を捉えて自分たちで作り出そうとします。
しかし、どうしても意味を捉えようとしても難しいものが出てきます。
例えば、コカ・コーラ。このような固有名詞にはなかなか意味を見出すことは難しいです。しかし、中国人は頑張ります。「可口可楽」(口に楽しい)、という意味を何とかひねり出しつつ、音も「クーククール―」という元の音に近いものを作り出しました。
中国においては、多くは前者のパターンで、後者はかなりレアだと思います。ですので、どういうことが起きるかというと、英語を全く勉強したことのない人は、television, video recorder, busなどというような、日本人だったらどんなに英語と縁がないと思われる田舎のおじいちゃん、おばあちゃんでも知っているであろう英単語も全く知らないということです。
ですから、正真正銘まっさらな状態から英語学習を始めることになるのです。
このことは、一見するとそのため、中国人にとって「損だ」という考えに行きつきそうです。しかし、彼ら中国人が英語を話す場合、単語を全く知らないために「理解されない」ということはあっても、日本人の電気の「コンセント」のように、まったく違うことを意味して「誤解」を生じさせてしまうという二重の問題を抱えるということはあり得ないのです。
このことからも、私は著者のように日本人にとっての和製英語を、「得だ」とプラスに評価しようという気にはどうしてもなれませんでした。