外国語上達の王道
2014年8月24日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介でも紹介しました「外国語上達法」ですが、言語学習者にとって非常に重要なことが満載でしたので、今回はそのエッセンスを抽出してみたいと思います。
語学に王道なしとよく言われることですが、しかし、少なくとも学習開始当初には「こうあるべし」という王道はあるのだとこの本を読むと納得させられます。
外国語の上達のためにまず覚えなければならないことはたったの二つ「語彙と文法」。この二つをものにするには「記憶」が重要な役割を演じており、そしてその記憶には繰り返しが大切です。一度学習のスタートを切ったら半年くらいはこの二つの項目についてのみ、がむしゃらに進むべきです。あたかも人工衛星を軌道に乗せるまではロケットの推進力が必要なのと同じで、逆に一度軌道に乗りさえすれば、あとは定期的に限られた時間を割けばいいと言う状況になるからです。
「語彙」とは「一つの言語にある単語の総和」を意味し、「文法」とは「その単語を組み合わせて文を作る規則」です。地球上のいかなる言語でも、この二つが存在しないものはありません。ですから、ある言語を「体系的」に習得しようと思えば、どうしてもこの二つを避けて通ることはできないのです。
逆に言えば、この二つの必要性を説かない「外国語学習法」などというものは、そもそも「体系的」な習得を目標としているのではなく、「反射的」な「おままごと会話」の範囲にとどまらざるを得ない限界を理解しなければなりません。
その意味で、昨今の学校英語教育がいわゆる「オーラル」重視に傾き、「語彙と文法」を軽視する傾向にあるということは正に、「反射的」な「おままごと会話」へのシフトに他ならず、学校教育において英語の「体系的」理解を放棄することにつながることだと真剣に心配しています。
本書の良いところは、この二つ二項目について現実的で具体的な目標を明らかにしてくれていることです。
「語彙」について。
「語彙」とは、その定義自体が「一つの言語にある単語の総和」というそもそも制限のないものです。そうなると学習を始めたばかりの者からすれば、「語彙」が大切だと言われるとそのゴールがどこまでも続く長い道のりの先にあるような絶望的な気持ちになってしまいます。おそらく、多くの人が中学生の段階で英語が嫌いになる原因の多くがこのことではないかと思います。
本書では、言語学の見地に基づいて以下のような分析を披露しています。
「大体どの言語のテキストでも、テキストの90%は三千の語を使用することでできている。すなわち、三千語覚えれば、テキストの90%は理解できることになる。そして、残りの10%の語は辞書で引けばいい。これならもう絶望的ではない。もっと言えば、最初の千語で平均6~70%の語が分かるようになり、この後次第にゆるい割合で90%に近づいていくのが普通である。もっとも、言語によってはフランス語の話し言葉のように千語で90%を超すものもあれば、日本語のように一万語で90%に達するような言語もある。」
このことから、頻度数の高い単語をまず千語覚えることが理解できる範囲をぐっと広げることになり、外国語習得を効率的に行うことはもちろん、とりあえず「千語でいいんだ」という短期目標により、挫折のリスクを最小限に抑えることにもつながるというわけです。
つづいて「文法」について。
「語彙」が多くの人が英語嫌いになる原因になっていると紹介しましたが、「文法」はそれと同様、もしくはそれ以上に多くの人が原因としてあげるものだと思います。
著者は、このことは多くの教師が文法の「本来の姿」を学習者に伝えられていないことから生じている不幸な事実だと言います。
文法の本来の姿として本書では以下のような言語学者の発言を引用しています。
「もし文法の規則を知らないとすると、新しい単語が出てくるたびにその単語がどう変化するのか、全部の形を知らなければならず、これは非常に面倒である。しかし、ありがたいことにこれまでの文法研究のおかげで、単語がどのように変化するのかそのルールがあらかじめ分かっている。つまり、文法は学生が外国語を学ぶのを容易にしているありがたい業績なのだ。一つ一つがどう変化するのかを学ぶ代わりに、ルールを一つ学べば足りるようになっているのである。」
ポイントは、文法を「めんどくさい」厄介なものとしてではなく、本来の姿である「ありがたい」便利なものだというメッセージを込めて学習者に紹介するべきだということです。そして、英語を中学生に教える教師の重要性を、大学などの専門教育として教える教師などと比べてもより高いと認識する社会的な前提を作るべきとも言っています。
その前提の下で、実用的な範囲で単語を組み合わせて文を作るために必要な「文法」の分量というものをきちっと整理し、それを確実にものにすることが重要です。具体的には「10ページ位にまとめられたものを完璧にものにする」ということです。
また、これを「理解する」ではなくて「完璧にものにする」という点が重要です。日本人でよく「私たちは文法はできるけど会話はちょっと」と発言される方がいますが、それは正しくありません。厳しいようですが、「会話がちょっと」なら「文法もちょっと」だということを認めなければならないと思っています。
ランゲッジ・ヴィレッジではこの「完璧にものにする」状態のことを「血肉にする」と表現し、そのための「ウェブ講座」を提供しているので、この著者の主張が痛い程よくわかります。
もしあなたが「体系的」な外国語習得を目標とされているのであれば、「語彙」と「文法」については腹をくくってください。その上で、現実的な短期目標を上手に立てることでモチベーションを維持し、人工衛星を軌道に乗せるためのロケットの推進力を維持できるようにしてください。一度軌道に乗りさえすれば、あとは定期的に限られた時間を割けばいいという状況に確実に持っていくことができます。
これが「外国語上達法」の王道であることは間違いありません。