子どものバイリンガル教育について
2015年8月2日 CATEGORY - 日本人と英語
前回の記事に引き続いて「最初のペンギン」という本の中身について議論してみたいと思います。前回も書きましたが、本書は、言語の本質について体で理解した方が書かれているなということが良く分かる素晴らしい本だと素直に思いました。
ただし、子どもに対するバイリンガル教育についての考えについてだけは、著者と私では大きく異なるので、今回はこの点に関して改めて考えてみたいと思います。
本書において著者は、以下のように子供のころからバイリンガル教育を行うことを推奨しています。
「これは僕の問題意識でもあるんだけど、残念なことに日本ではまだ多くの親が、子供に外国語を早くから教えると母国語の発達が阻害されると思っているみたいだよね。子供を外国語の世界から遠ざけて、一定の年齢まで日本語に集中させてしまう場合が多い気がするんだ。(中略)シンガポールは多言語国家だから、いろんな言葉に小さい頃から触れるのが当たり前、という感覚が僕にはあったからびっくりしちゃって」
このブログで私は一貫して、子供のバイリンガル教育についての問題を取り上げてきました。その意味では、まさに私は、上記の「子供を外国語の世界から遠ざけて、一定の年齢まで日本語に集中させてしまう」親に意識的になろうとしています。
実際に、多くのパパ友ママ友に「ランゲッジ・ヴィレッジを経営しているんだから、お子さんたちはいつでも英語に触れられて幸せだね」といわれますが、私は意識的に子どもたちに英語を学ばせていません。もちろん、外国人に触れること自体は非常に重要なことだと思うので、挨拶くらいはさせるようにしていますが、英語を学習させるという趣旨でランゲッジ・ヴィレッジに足を踏み入れさせることはありません。
それは、思考の基礎となるべき言語である日本語をしっかりと身に着けることを、所詮道具に過ぎない外国語である英語によって邪魔をさせたくないからです。
もちろん、本書の著者は自らの体験を基に述べられていますので、ご自身の経験上「子供に外国語を早くから教えることで母国語の発達が阻害されることはない」という確信があるのだと思います。
しかし、それは特殊な条件があってはじめて実現する限定的な経験だと思うのです。
それは、その子供に、複数言語が同等に高いレベルで使用される環境が長期間担保されることです。本書の場合では、シンガポールという他言語国家です。それであれば、著者の主張するように、複数の言語を思考の基礎とし、しかもそれぞれのシナジーが働き、一つの言語に思考の基礎を置くよりもよりよい効果が得られるかもしれません。
しかし、この条件は非常に特殊であるはずです。
特に日本では、この条件を望むことは非常に困難だということは言うまでもありません。教育熱心な親がたくさんのお金と労力を使って、わが子にそのような環境を与えようとして、仮にそれが可能となったとしても、それを長期間担保することは非常に難しいのです。
例えば、中学受験、高校受験でせっかくそこまで続けてきたものを中断しなければならないことも考えられます。また、そのような人工的な環境を日本国内で作り出すこと自体、自然な教育とは言えなくなります。
そのため、他言語国家であるシンガポールではまだしも、日本において一般論として子供に対するバイリンガル教育を推奨することは慎重にしなければならないと私は思っています。