英語学習者にとっての救いの言葉
2024年2月9日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「やっぱり英語をやりたい#308」からテーマをいただいて書いてきましたが、第三回目の今回が最終回です。
最終回のテーマは英語学習者にとっての「救いの言葉」です。
日本人の英語学習における「分かっていないのに分かったふりをする」という悪い癖。
日本人の英語学習者のほとんどに自覚があるであろうこの癖の原因について、「英語脳スイッチ!#307」の関連ブログ記事「なぜ日本人は分かったふりをしてしまうのか」において、「日本語では同じく相手に対する『配慮』によって『あえて言わない』という『世界や人間関係の捉え方』をしている」からという一応の理解を示しました。
しかし、本書には英語を話す上ではそもそもそのような「配慮」は必要がないという考えが、以下の二つの観点から示されていましたのでそれぞれ該当部分を引用します。
一つは国際共通語としての英語の観点。
「言語学者のカチュルは英米以外の地域で使われるようになって生まれてきた新しい英語のことを『World Englishes』 と呼び、この『World Englishes』を同心円モデルを使って説明しています。
しかし、同心円の真ん中に英語母語話者を置くのはやっぱり英語ネイティブが中心だ、と誤解されかねないという批判が出て、その後カチュルは英語母語話者が中心にある同心円を崩して、英語国際共通語話者(EIL)が核となる図に修正しました。
この思想は画期的で世界に衝撃を与えました。人数からして英語母語話者の何倍もの人間が英語を使っているんだから、『ネイティブはこう言う』じゃなくて、自分の英語で堂々としゃべればいいんだ、とネイティブ規範から解放されて自由になったんです。ただし、そうなると自分流の英語が行きかって時に理解できないこともあったりするし、そうなると共通語として機能しなくなるかもしれないという危惧があります。そこで登場したのが『共通語としての英語 English as a Linga Franca』とはなにかとの研究です。共通語として機能するには、何が必要なのかを発音や文法の面から調査・研究して、英語の『核(core)』を見つけようとしています。そうすれば、あれもこれも教えなくて済むし、ネイティブの真似をしなくても済むわけです。ウィーン大学とオックスフォード大学出版局の共同研究の成果として、英語を判断する際の基準に使われる『分かりやすさ(inteligibility)』があります。ネイティブ見たいかどうかではなく、お互いにとって分かりやすい英語かどうか、が決め手となるものです。」
そしてもう一つは対話に対する観点。
「日本人にありがちなのが聞き取れなかった自分が悪いと思って謝ったりすることだけど、そんな必要は全くない。反省する必要もありません。『分からなかったら聞き返す』ことだけ忘れないでほしい。理想的なのは、相手が話している中で何とか聞き取れた単語が一つでもあれば、それを手掛かりに使って質問してみること。そうすれば相手は違う表現で説明してくれるだろうし、万一、聞き取れたと思っていた単語が違っていても、相手は聞き違いだと受け取って、言いなおしてくれるはず。対話や会話は相手と自分の双方でやり取りして成立するもの。話し手は聞き手が分かるように話す責任があるし、聞き手は理解できなかったら、聞き取れなかったことを話し手に知らせる義務がある。これを繰り返して、お互いがそれぞれの話を理解できるまで説明し合うことが対話です。」
この二つの観点からの指摘は、英語学習者にとっては「救いの言葉」以外の何物でもないでしょう。