日本人と英語

教員免許のインフレーション

2018年10月28日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「これからの英語教育の話をしよう」から、10テーマをいただいて議論をしていくシリーズの第九回、今回のテーマは「教員免許」です。

今回の英語教育改革は、今まで見てきたように英語教育そのものとして非常に大きな問題を抱えるものであることは間違いないのですが、本書の巻末に収録されている座談会議事録の中で著作陣は、「教員免許」をめぐって小学校教師の存在意義自体に大きな問題を生じさせていると指摘されています。

以下にその議論の部分を抜き出します。

藤原:小学校で英語を教えるのに求められる英語力として英検2級相当となっていますけど、実際の調査の結果ではこの達成率は15%ぐらいです。しかも、受験すらしていない教師が約40%となっています。

仲:予算がないという割に、既定路線とはどういうことだという感じですね。10何年も既定路線を敷いていたのに。お金がないのに線路だけ敷いてしまったという感じなのかな。

松井:10数年あったら、免許法を変えられたと思うんです。どこかで教科化はまずいという動きがあったから、止まっていたのでしょうか。だとしたら、既定路線というのはアンフェアだと思います。教科化に慎重にならざるを得ない何かがあったから、おそらく免許法の方が先行しなかったのだと思いますが。教科化を決めるということは、英語が教えられる人でないと免許を取れなくなるすることだということなんだよと。

本当にその通りだと思います。

予算の問題、教員免許制度の問題、実はこういった実質的な問題をすべて解決した上で行うべき「大改革」のはずなのに、線路だけ敷いて、あとはダラダラ「なるようになるだろう」と言わんばかりの現場任せの方針としか言いようがありません。

そして、そのつじつま合わせのために、急きょとってつけたような「外部人材」に対する「特別免許状」の交付や小学校教員に対する通常15回の授業を土日にその半分の8コマを受けて英語の二種免許をとらせる「講習会」の存在を「教員免許の大安売り」として以下のように批判しています。

藤原:現状では、教員免許は誰でも取れる。教員免許をとればそれだけで優秀な教員になることを担保するものではありませんが、それ自体の価値をこちらから積極的に無価値化する、安売りするのは相当危険なことだと思います。

私は、上記の指摘のように、「教員免許をとればそれだけで優秀な教員になることを担保するものではない」として、それよりも教師の資質としては社会経験や教科への情熱を含めた総合的能力の方を重視する立場です。

ですから、ランゲッジ・ヴィレッジの講師の要件には、「教員資格」「教授資格」は入れていません。

(ランゲッジ・ヴィレッジの「講師資格について」を参照)

ですが、その代わりに私たちが目指す英語教育についてのビジョンの共有と実践的な教授能力に関するトレーニングを徹底的に行うことで彼らを「英語環境維持」のプロフェッショナルに仕立て上げます。

なぜなら、それは彼ら自身が今関わろうとしている仕事に対する「自負」とそれを達成する「能力」を当然のこととして身に付けさせなければランゲッジ・ヴィレッジが掲げる目的を達成できないことを知っているからです。

一方で、免許という「形」だけでも担保させようとする姿勢すら放棄してしまった先に、どんな目標を見ているのか、この公教育の「大改革」の先は思いやられるばかりです。

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