日本人と英語

日本人としての英語の限界の認識

2016年9月4日 CATEGORY - 日本人と英語

笑い

前回、書籍紹介ブログにて、「人生を変える英語力」をご紹介しましたが、この本の中からいくつかテーマをいただき議論してみたいと思います。まず、第一回目の今回は、「ネイティブ並みをめざしてはいけない」です。

つまり、目標設定の適切さの問題です。

著者は、「ネイティブ並みをめざしてはいけない」理由として、母国語と第二言語の根本的な「差」をあげてます。母国語と第二言語では、比較にならないほどの差があり、その差を埋めるのは並大抵の努力では不可能だと指摘しています。

ミスター外資系と言ってもよい著者であっても、この点に関して本書の中で次のように告白しています。

「私も英語力向上のために努力してきた自負はありますが、所詮、第二言語としての付き合いでしかありません。元来、言語というものは単語や文法だけではなく、その言語を話している人たちが作ってきた歴史や文化、価値観に大きな意味があるはずです。」

私は、この指摘に対して心から同意します。

といいますのも、私はすでにランゲッジ・ヴィレッジのウェブサイトで「映画活用英語学習」というコーナーを設け、言語における背景の重要性を理解した上で、英語学習の目標設定をすることの重要性について次の指摘しています。

「私たちは「使える英語」を身に着ける方法として映画を教材に用いることをあまり推奨していません。なぜなら、不可能なことを目標に定めるとその時点で目標に到達できないことが確実に決まってしまうからです。それは、この一見、健全に見える「目標」の背景に、「使える英語」を身に着けるために必要な要素とはかけ離れた①文脈の問題と②専門性の問題の二つの高すぎるハードルが存在するからです。①文脈の問題とは、日本語圏と英語圏の文化習慣の違いから、言語の背景についての理解不足のために文字面の把握だけでは理解ができないことです。そして、②専門性の問題とは、その専門分野における語彙の不足から純粋に文字面の理解ができないことです。ですが、この二つのハードルの高さを十分に認識した上で、あえて、自らに高度な負荷をかけることで、より高度な英語力を身に着けることを目的にするという姿勢で臨めば、この「映画活用専門英語学習法」は非常に有効な学習法であると考えます。」

英語圏の映画を見て彼らと同じタイミングで笑うということは不可能だというのが私の偽らざる本音です。

だからこそ、映画を活用した英語学習というものをあらかじめとてもレベルの高いものだと言う前提で、棚の高いところにおきつつ、ご紹介しています。

私に限らず、日本人が英語を「学習する」というスタンスで接するほとんどの場合、そのような認識で目標設定すべきだと思います。

一方、著者はご自分のミスター外資系としての経験から、「日本人と英語」と「日本人と仕事」という観点からこの目標設定の幅を以下のように認識されています。

「言語はその背景に、その国の人間の価値観やユーモアセンスなど独自の歴史が刻み込まれています。この点が、私が英語でビジネスをするうえで一番苦労した点です。そして、私がアメリカ本社のリーダーを務めることを不可能だと判断した理由でもあるのです。もちろん、上からモノを言われる立場は面白くなく、本社側のリーダーになりたいとよく考えていました。しかし、私は海外育ちでもなく、一般のアメリカ人の価値観や宗教・文化・歴史に関しても、共通の知識や意識はほとんどありません。自分の身の丈を考えると日本支社のリーダーが最高位なのだろうという諦めがあったことは確かでした。」

おそらくですが、私の「英語圏の映画を見て彼らと同じタイミングで笑うということは不可能」だという認識と、著者の「アメリカ本社側のリーダーになることは不可能」だと言った認識の感覚は近いものがあるのではないかと感じました。

ですから、日本人が英語を学ぶというスタンスで英語と付き合う限りにおいては、この絶妙なポジショニングというものを常に意識することが最終的には最も効率的・効果的なのだと思います。