日本人とPCスキルと英語
2015年7月19日 CATEGORY - 日本人と英語
前回に引き続き、寺澤芳男氏の著書「英語オンチが国を亡ぼす」について、書こうと思います。
本書の内容が書かれたのは1997年なのですが、時代の流れを感じさせられる面白い記述を見つけました。
「日本ではパソコンが使える人の割合はアメリカなどに比べればまだ低い。だがこれから急速にその割合が増え、しかもインターネットという世界中を一つにするようなコミュニケーションの道具はますます普及してくるはずだ。」
この言葉を見つけて、17年前には日本では、自分自身も含めパソコンが使える人はまだ珍しかったのだと思いだしました。1997年といわず、2000年を過ぎても大学を卒業するためにパソコンの知識はまだギリギリ必須でなかったように思います。(少なくとも私はPCスキルゼロ、オール手書きで卒業しました。)
それが今では、PCスキルはビジネスマンにとっては当たり前のこととなっています。ビジネスマンでなくとも、幼稚園児のうちの子供たちですら、親に隠れてスマートフォンをいじり、youtubeの動画を自在に操作するほどです。
それに対して、英語スキルはどうでしょう?
少なくともこの17年間において、PCスキルの進歩の1/10も達成できていないと思います。当時、日本人にとってPCスキルも英語力も同列に「遅れている」と捉えられていたのに、どうして前者はここまで進歩して、後者はここまで相変わらずなのでしょうか。
これは、「使う環境」があるかどうかの違いです。
少し前のブログ記事で「英語下手は贅沢」という話題に触れましたが、日本人が英語ができないのは「日本では大学教育の隅々まで日本語で行われている」ことによって、大学教育および日本国内におけるビジネスを全て滞りなく日本語で済ますことができているという「環境」が維持できているからです。
この「環境」の維持がどこまで続くのか、PCスキルのように堰を切ったように突然覆るのか、それとも、じわりじわり長い時間をかけて変化が進んでいくのか、今のところそれを正確に予想することはできませんが、「日本が海外とのやり取りを日常的に英語で行わなければ立ち行かない状況」もしくは「日本において英語を使う必然性」が出来上がってくるのは、確実かと思います。
ただし、そのような変化が起こったとして、PCスキルと同様に英語力が当たり前のように身につくのかという点については、「日本が海外とのやり取りを日常的に英語で行わなければ立ち行かない状況」だけでなく、「日本において英語を使う必然性」の比重がかなり大きくなるという変化が必須だと思います。