事実上の中学英語必修化の第三の理由
2018年9月16日 CATEGORY - 日本人と英語
「『なんで英語やるの?』の戦後史」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目の今回は、前々回そして前回ご紹介した中学の英語教育が必修科目となった二つの理由とも違う理由ついて考えてみたいと思います。
それは、「英語教師の数が不足していた」という物理的な制約がなくなったということです。
前々回、「中学の英語教育の必修化」の歴史をご紹介した記事でも述べましたが、戦前の旧学制下では、外国語教育は義務教育では行われていません。
当時、外国語を教えていたのは、旧制中学校と高等女学校など限られた学校のみでした。
ちなみに、1940年代の旧制中学校の生徒数が約45万人、高等女学校の生徒数は95万人で、これを合計すると140万人です。
それに対して、義務教育となった新制中学校の1948年時の生徒数は、450万人ですので、もしこの時点で英語を必修化するとなれば、実にそれまでの3倍以上の英語教師を手配しなければなりませんでした。
ですから、新制中学校のスタート時は、外国語教育の理念がいかなるものであったとしても、物理的に「必修化」は不可能であったことが容易に想像されます。
そのような制約から、「選択制」でスタートした新制中学の英語教育ですが、戦後のベビーブームによって1960年代には中学生数が700万人に達することは事前に分かっていましたので、たとえ選択制であったとしても英語教師と生徒数の需給バランスは常に逼迫していたはずです。
そこで、政府はその急増した英語教師の需要に応えるため、他の教科では当たり前の教員免許を条件とせず、大量の英語教員を採用・育成しました。
ところが、その後ベビーブームは去り、子どもの数は減少の一途をたどったために、中学生の生徒数に対する英語教師の数は余剰気味となったのです。
このことが、1960年代に今日的な意味での「事実上の必修化」が達成される原動力となったというわけです。
この説明は、非常に分かりやすく、そして説得力が高いものです。
どんなに立派な教育理念があろうとも、それを実現できる条件がそろわなければ絵に描いた餅にすぎません。
1960年代に、全国の都道府県が「高校入試に英語を採用」しても、また日経連による「産業界の強力な要請」があっても、この物理的条件がなかったら決して実現していないはずです。
このように見てくると、日本の中学校のおける事実上の英語必修化は、一つの決定的な要因によってではなく、複数の要因が複雑に絡んで相互作用したことによって成立したものだと理解すべきだと思います。