英文読解における「主張」の見抜き方
2022年11月21日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「サバイバル英文読解」からテーマをいただいて書いていきますが、第一回目のテーマは「英文読解における主張の見抜き方」です。
そもそも「英文読解」とは、著者のその文章による「主張」は何かを「読み解く」ことです。
「読み解く」と言うと何やら暗号解読のように聞こえそうですが、著者は何も読者を混乱させるために文章を書いているわけではなく、できる限りスムーズに理解してほしいと思って書いています。
ですから本来は「読み解く」までもなく普通に読めばいいはずなのですが、その文章によって伝えたいこと自体の「レベル」や読者がその「背景知識」をどのくらいもっているかによって、どうしてもすんなりとはいかないケースが出てきます。
英語圏の新聞や雑誌などは、当然ですがある程度の「レベル」と「背景知識」が求められるものであるために、その多くがこのようなケースに該当してしまいがちです。
ただ、繰り返しますが、著者はできる限りスムーズに自らの「主張」を理解をしてほしいと思って書いているわけですから、読者を理解にいざなうための「定石・テンプレート」を駆使しています。
著者は、その「定石・テンプレート」とは突き詰めれば「対比」であると言います。
英語におけるその「対比」の最も典型的なものが「not A but B(AではなくBである)」という形です。
ほとんどすべての「主張」はこのテンプレートに則っていると言っても過言ではありません。それならばなぜ、私たちは「混乱」してしまうのでしょうか。
それは、「not A but B(AではなくBである)」だけを用いて主張し続けると文章が単調になりすぎて誰も見向きもしてくれないので、その基本の形をある程度アレンジした上で「対比」に持ち込こまざるを得ないために、外国人である私たちがそれを「対比」として認識できず「混乱」してしまうというのです。
そこで著者はこのアレンジを以下のように分類・整理してくれています。
① butを消す
Experience is not what happens to you. It is what you do with what happens to you.
本来の「主張」の形である「not A but B(AではなくBである)」に直すと、
Experience is not what happens to you but what you do with what happens to you.
となります。ではなぜ、butを消してしまったのでしょうか。
もともとの文は一文で完結していますが、butが消えたものは二文になっています。
その上で二文目の冒頭にbutをつけたらどうなるか。
butは接続詞ですから、文章と文章とをつなぐ役目を果たすものなので、一文が二つの独立文に分かれた瞬間に、butはその存在意義をなくしてしまいます。
つまり、文法上、butを置く必要がなくなったために消えたというわけです。
ここで蛇足になりますが、私が主宰する「文法講座」の受講者さんからも、よく「butが文頭にくる文章は間違いだと言われる理由は何ですか?」という質問がありますが、これがその答えとなります。
② 別のもので代替する
not A . Instead B.
not A. Indeed B
not A. Rather B
これらはbutとは異なり接続詞ではなく副詞です。
そのため、文が二文に分かれているためにbutが使えないけれどそれでは分かりにくいという場合には、対比を明確にするようにこれらを置くことができるのです。
③ than(比較)を活用する
In most cases, Japanese prefer decision by consensus rather than by vote. People should talk and talk until some agreement emerges.
「対比」という言葉からもよく分かるように「比較」するという行為は「対比」を明確にします。
ですから、その「対比」によって、「投票による」よりも(むしろ)「合意による」方が「主張」であるということが引き立てられるのです。
④ 過去と対比する
A hundred years ago, it would have shocked most people to throw away anything usable. Now we live in a throwaway society.
「比較」が「対比」の典型例であることを見ましたが、それに次いで「対比」を明確にするのが「時間の差」です。つまり、「過去と現在の対比」によって現在の「主張」が明確になるのです。
いずれにしても、「主張」は「対比」をもってするものであり、その「対比」のバリエーションを全て網羅すれば、自ずと「主張」は見えてくるということです。