日本人と英語

英語教育の4技能化ってなに?

2018年3月11日 CATEGORY - 日本人と英語

以前に書籍紹介ブログにて「史上最悪の英語政策」をご紹介しましたが、この本からいくつかテーマをいただき議論していきます。

第一回目のテーマはそもそも現在騒がれている「英語教育の4技能化」とは何なのかについてです。

一般的な言語の4技能とは、「読む」「聞く」「書く」「話す」の四つを指します。

本書は、この点について根本的な疑問を呈しています。

そもそも四技能は、英語が言語である以上当たり前の話です。

しかしながら、従来は個別教育もしくは少人数教育が不可能だという制約を持つ学校教育という仕組みが、教師と生徒との間の密なやり取りを要求する「書く」「話す」の2技能についてなかなか手が回らなかったということであって、その二つを排除してきたわけではありません。

しかも、この二つの技能は、他の技能と無関係に成立するものではなく、それらを基礎にして成立するより高いレベルのものです。

ということは、そのレベルの高いことに照準を合わせるということになれば、授業時間数を増やしたり、教師の能力を高めるなどの抜本的な教育資源の充実を図るべきであるにもかかわらず、それをしないだけではなく、逆に基礎の部分の時間を削減して、この高いレベルの「書く」「話す」の2技能にその分を充てようという、教育の本質を全く無視したやり方でやろうとしているということになります。

このことの滑稽さは、著者の言葉を借りれば以下のような表現で説明できます。

「おいしいものを作るためには設備の整ったキッチンが必要です。調味料の類も必要です。その次に来るのが具材です。つまり、何段階かの準備を経る必要があるわけです。しかし、普段から台所を使っていない人は、『あれが足りない、これが足りない』と慌てることになります。英語も料理と一緒です。急にはできない。発音、アクセント、単語、熟語、構文、、、もちろん会話の場でそういうものを一気にそろえるのは不可能です。だからパニックを起こし、『俺は英語ができない!』と叫ぶことになります。料理の準備のない人が『ステーキ一枚料理できないじゃないか!何のためのキッチンだ!』と騒ぐのと全く同じです。」

この当たり前のことに気が付かない人が教育行政に大きな影響を与えていて、それによって実際に教育行政が動いてしまっているというのが今の英語教育の現実です。

いや、もっと適切な比喩をしてみましょう。

料理なんてしたこともなければ、調味料なんてほとんど台所にないような人に対して、「料理が上手になるためには、よい料理に触れることだ」と言って、高級レストランに連れて行って高級料理を見せてあげる(食べさせてはくれない)ことが、ぐずぐず調味料を集めるようなことよりも重要なんだということが「英語教育の4技能化」の正体だということです。

本書では、この正体を暴くために、その黒幕と目される方について、実名を挙げて批判されているという点で、今までのどの批判よりも鋭いものとなっています。