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なぜ日本のコロナ対策は評価されないのか

2020年5月11日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

世界中で新型コロナウィルスが猛威を振るい、通常の生活をおくることができない状況が当たり前になっています。

そして、それは日本も例外ではないのですが、その被害の程度は欧米などと比べると死者の数を例にとれば比較的低いレベルで抑えられています。

しかしながら、韓国やドイツのコロナ対策が世界で称賛を受けているのとは対照的に、どういうわけか日本の対応はその実績、特に死者の数の少なさとは裏腹に全くと言っていいほど評価されていません。

この状況はどういうことなのか、私としてはこのところずっと疑問に思っているところです。

そこでいろいろと調べてみると、その理由に迫るインターネット記事に行き当たりましたのでご紹介します。

まずは、最新の世界の状況をまとめてみましたので、実際の日本のコロナ対策と世界各国の対策の結果の対比をしてみましょう。

(この記事自体は少し古いので、記事内の情報は使わず最新情報を自分でまとめてみました)

現在、コロナ対策が非常にうまくいっていると絶賛されている韓国と比べても人口割合を修正した数値で見てみると死者の数が5人とほぼ同じですし、同じく評価されているドイツはその数値が88人ですから圧倒的に日本は優れた対応をしていると見るべきかと思います。

この事実があるのにどうしてここまで評価されないのか、本記事には以下のような指摘がされていました。

「日本に対する主な疑念は、検査を広範囲に行わないことで意図的に統計上の新規感染者数を抑えてきたのではないか、というものだ。これは疑惑というより単なる事実に近い。日本の方針は当初から、せきが出て不安な全国民を病院に向かわせて待合室をいっぱいにするような事態を避けるというものであった。認めようと認めまいと、正当な戦略ではある。その中で、いまだ進行中の新型コロナウイルス感染症を制圧するためのグローバルな戦いにおいて、日本が見習うべき国として見られていない主な理由は、おそらく2点ある。第一に、日本が成功した理由(コロナ危機はまだ終わっていないので、あくまでも現時点においてだ)があいまいで不透明であること。第二に、日本の新型コロナウイルス感染症との関わりが、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の検疫においてであり、西洋諸国の反応が『フクシマの時と同じだ』という論調も多かった。2011年の原発メルトダウンの際に破滅的にひどかったとされる、日本の官の対応に言及してのものだ。」

実際には、日本は他の国とは全く異なった方向性でこの難局を何とかしのいでいるというのが事実のようです。本記事の中にこの日本特有の事情が分かりやすく紹介されていましたのでこちらも引用します。

「ロックダウンは新型コロナウイルス感染症への対応として世界の既定の措置方針となったが、入念に『社会的距離』を保つことができ、手洗い習慣が根付いている国民が多い日本にとって必要性は低い。日本人の多くは自分自身がウィルスのキャリアであると想定して生活している。日本にとっての真の武器は、新型コロナウイルス感染症の出現後も特に新しい何かが必要となったわけではないことだ。端的に言えば、必要となったものの多くは、すでにあったものを強化すればよいだけのものであったということ。」

この日本特有の事情について、このような習慣が日本にあることを体感的に理解できない外国のマスメディアが日本を評価しない理由としてはその通りでしょうが、本来最も日本の情報が集まる日本のマスコミにも全くと言っていいほど評価されない理由にはなりません。

にもかかわらず、日本のマスメディアはこれらの日本の武器のすばらしさに触れず、より一層日本人の対ウィルスモチベーションをあげることに協力するどころか、相変わらずPCR検査の少なさをはじめとする悪い(と外国が思っている)事実を報道するのみです。

そんな中で、マスメディアに対して非常に明快にそして冷静に「喝」を入れるべく千葉市長が千葉市ウェブサイトにてメッセージを発しておられたので少し長くなりますが、該当部分をそのまま引用します。

「報道機関の皆さんは社会の公器としての責務を十分理解して報道頂きたいと思います。災害時はうまくいかなかったことばかりが報道されがちですが、うまくいったことと、うまくいかなかったこと双方を適切に報道しなければ、国民はどんどん自信を失います。私は新型インフルエンザ時も市長だったため、新型インフルエンザを受けて日本の法制度が整備され、国も自治体も一定程度の備えをしてきたことが活きていることを理解しています。その備えは十分ではなかったことは事実ですが、新型インフルを受けての対策が無ければ事態はもっと深刻だったでしょう。事実だけ見れば、日本は先進国の中で新型コロナウイルスによる死者・重症者数ともに非常に少ない国です。また、諸外国と比べて罰則も緩い緊急事態宣言に多くの人々が従い、完璧ではありませんが十分な結果を出しつつあります。この緊急時に『罰則を!』『自粛要請ではなく禁止してしまえばいい!』など、強権発動を期待する声が高まっています。私たちの国はあの太平洋戦争の苦い経験から、政治権力による強権発動には慎重を期したいとの国民の切なる願いを受けて様々な法制度を構築してきました。その歴史を忘れてはいけません。ただし、本当に爆発的感染となった時はそうは言っていられません。そうした究極の状況時に発動する法制度については十分議論することは当然だと思います。しかし、現状の感染状況、日本の国民性などを考えれば、この緊急事態宣言程度の制限行為が適切だったと言えます。こうした不満の背景は報道機関が多くの国民が自粛を守っている国民性を報じず、一部の守らない人を一生懸命報道する姿勢も影響しています。成人式の報道に似ていますね。成人式は多くの新成人は問題ない行動をしていますが、マスコミが荒れている若者を探し出し、ネタとして消費しています。そして世の大人がそうした若者の振る舞いを見て、「若い連中はしょうがねえなあ」と批判し、優越感に浸るという毎年の風物詩です。自粛を守っていない報道も同じです。世の多くの人が自粛を守っているために、自粛を守っていない人たちに対して、罪悪感を感じず、遠慮なく叩き、優越感に浸り、人々が共感を感じることができる、その深層心理をメディアは利用し、視聴率やアクセス数を稼ぐことのできるコンテンツとして利用しているのです。心理学からも、自粛を守っていない人をいくら報じても自粛を守らない人は行動を止めません。むしろ『守っているのはバカらしい』『守っていない人がいるなら私も』という心理を誘発しますし、それよりも自粛を守っている人達を報道し、データとともに『みんな守っているよ』と報道することの方が結果が出ます。残念ながら報道機関は緊急事態宣言でも殆ど自粛していません。テレビカメラをどこにでも持っていき、自由に取材しています。給料も減りませんし、むしろ自宅にいる人が増え、視聴率も上がっているでしょう。それが悪いと言っているのではありません。立場と構造上、『この危機が長引いても問題ない』側に立ってしまうのです。報道機関の姿勢が問われますし、何より受け手の私たちが問われていると言えます。」

日本のマスメディアはこのことをよくよく反省していただき、また受け手の私たちも情報に接する姿勢を真摯に見直し、双方の自己改革をもってコロナのレガシーとしていきたいと思います。

 

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